私の中におっさん(魔王)がいる。~雪村の章~

 間空は黙って、二人を見据えた。
 ピリッとした空気が流れ、咲鬼とジュダンは構えを取った。ジュダンの両手に冷気が宿り、渦を巻いて水になり、無数の矢の形となって、一瞬で凍りつく。

 その矢が放たれると同時に、咲鬼は地面に手をついた。大地が大きく揺れ、間空達の足元を奪う。多くの者がしゃがみ込む中で、間空だけは足を踏ん張り、しっかりと立っていた。
 無数に降り注ぐ凍りの矢に向って、間空は手を翳す。

「無駄だ! 私の能力で結界は張れないはずです!」
 咲鬼がにやりと笑んだ瞬間、凍りの矢は壁に衝突したように先端からひしゃげて砕け散った。
「え?」
 驚いた声音を出したのは、技を繰り出したジュダンではなく咲鬼だ。

「――移空結(いくうゆう)」
「え!?」

 間空が印を結んだ瞬間、咲鬼とジュダンを結界が包み、咲鬼の戸惑う声を残して消え去った。兵士達は目を見張る。ゆりもまた、瞠目した。

「う――うわああ!」
 恐怖した兵士の中の誰かが叫び声を上げ、それにつられるように、誰からともなく悲鳴を上げて走り出す。

 だから厄歩に戦いを挑むなんてしたくなかったんだと、がたつきながら、兵士達は我先にと一目散に屋敷を後にした。

「ハッハッハ!」
 間空は愉快そうに笑いながら、それを見送る。
その笑みはどこか嘲笑が交じっていた。

「オヤジさん!」
「オヤジ殿!」
 ゆりは間空に駆け寄った。その後を、知衣やナガが続く。

「おお。ゆりくん、無事だったな」
「はい。オヤジさんも無事で良かったです。――彼女達、どこ行っちゃったんですか?」
「アシティオ山の麓だ。クラプションの領土の端だな」
「今のも結界の技なんですか?」
 遠慮がちに尋ねたゆりだったが、瞳は好奇心満載だった。間空は思わず破顔する。
「まあな。結界で囲ったものを、別の地点に決めた場所に移動させるのさ」

 ゆりは素直に感心して頷いたが、間空の説明は少し不足している。正確には、地点をずらすのだ。結界は地点を決めて、点と線で結んで張るものだが、その結んだものの地点をずらすと、そのまま中で囲われたものも移動してしまうのだ。

 だが、この技が使えるのは結界師の中でも極僅かな者しかいない。普通の結界師では、ずらした時点で結界が崩壊してしまう。知衣とナガの自動結界が崩壊したように。

 ましてや、距離が離れた場所へ跳ばす事が出来る者など、稀中の稀だ。雪村ですら、頑張ってせいぜい数キロ先にしか跳ばせない。

「それにしても、オヤジさん。粉まみれですね」
 ゆりがまじまじと言うと、知衣がゆりの腕を肘で突いた。ギロリと睨みつける。
「オヤジ殿に軽口を叩きすぎだ。いくら頭首の恋人だからと言って、上官に軽々しく口を利くものではない!」
 ゆりがたじろいだ。頭を下げようとすると、間空がゆりの肩を掴んでそれを制した。

「いや。良いんだ知衣。ありがとう」
「ハッ! もったいないお言葉!」
 勢い良く敬礼する知衣の肩をナガが引いて、
「ごめんな。こいつ、生粋の軍人気質なんだ」
 と、ゆりに耳打ちした。ゆりは軽く苦笑する。
「この粉はどうやら消者石だったようだが、摩り替えられていたようだな」

 間空は感慨深げに言った。六百五十年もの間世界を渡り歩き、戦い続けてきた一族にとって、消者石での攻撃は想定の範囲内であった。その為の武術も身につけているが、あれだけの数の兵士が消者石を持ち、囲まれては、間空であっても勝ち目はなかっただろう。

「摩り替えてくれた人って、いったい誰なんでしょう?」
 ゆりは独りごちるように尋ねたが、間空もまた怪訝そうに首を傾げる。

「さあな。用意したのは、三関の話によれば或屡であったらしいが、或屡がそんな手心を加えるとは思えん」
「首謀者ですもんね」
「そうだな。しかし、今はそんな事を議論している暇はない。穴蔵へ急ごう」
 考え込みそうになったゆりを間空は促し、ゆりは深く頷いた。


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