私の中におっさん(魔王)がいる。~花野井の章~
「アニキ!」
「おわっ!」
私の渾身の大声に、アニキは驚いて飛び起きた。
「……嬢ちゃん?」
上半身だけ起こしたアニキの前に、私はそのまま座り込んだ。
アニキを睨みつけると、アニキはへらっと笑う。
「んなわけねぇか」
んなわけねぇわけないでしょ!? 私はそう言うつもりで、口を開いたけど、それを言うことは出来なかった。
大きな手に腰を引かれ、気づいたら、やわらかいものが唇に、優しく押し当てられていた。
それはすぐに離れ、アニキの体重が体にかかる。
私は驚く間もなく、優しく畳に倒されていた。
足だけが、やわらかい布団の上を、頼りなく踏んづけている。
(えっと、これって、どうなって……?)
「夢なら、良いよな」
アニキが自分に言い聞かせるように、切ない瞳で、呟く。
(いや、これ夢じゃないからぁ!)
心の中で叫ぶ。
実際に叫んで、張り倒すことも出来るのに、私は動けなかった。
アニキの瞳に捉えられて、目が離せない。
声を発せない。動けない。
アニキが、そっと顔を近づけて、私の首許に顔を伏せた。
うるさいくらいに、心臓が脈を打つ。
「あ、あの――!」
やっと声を発したと同時に、どすんと、腕の支えを失ってアニキの体が私の上に落ちた。
「イタッ! 重っ!」
私はびっくりしてもがく。私の耳が、
「ぐおおおっ!」
という、音を捉えた。
「は!?」
精一杯の力でアニキを押しのける。
それでも、アニキの体を完全に離すことは出来なかったけど、顔が見えるくらいには押せた。
「……寝てるし」
私は体の力を抜いた。アニキがまた覆いかぶさってくる。
「重い……」
ため息をつくと同時に、怒りが湧いてくる。
「なんなの!?」
今度は足も使って、アニキを蹴り出す。やっとアニキを体から離した。
気持ち良さそうに眠るアニキを見てると、さらにムカついてきた。
私はアニキの頬を、ぎゅうっとつねる。
「人の唇奪っといて、寝ないでよ!」
アニキは痛くも痒くもないようで、すやすやと寝ている。
(アニキのバカ、アホ! 責任取れ!)
心の中で毒づいて、私は部屋を出た。
廊下で一息つくと、今更ながら、頬が紅潮するのを感じた。
あまりに突然で、実感がないキスだった。
唇をなぞる。
「勘違いしちゃうじゃんか……」
あれが、月鵬さんが前に言ってた酒癖の悪さなのかも。
アニキは、キス魔だったんだ。それだけだ。
私は高鳴る胸を無視して、暗い廊下を戻った。