瞳に印を、首筋に口づけを―孤高な国王陛下による断ち難き愛染―
「名前は……ないの」

 正直に答えるとゲオルクは彼女を二度見した。額面通り受け取ったのか、名前を教えたくないゆえの口実と受け取ったのかは定かではない。

 しばしの沈黙の後、彼の形のいい唇がゆるやかに動く。

「セレネ」

 唐突にゲオルクが口にしたのは月の女神の名前だ。神子は目をぱちくりとさせる。目が合うと彼は苦笑した。

「……は、そのままか。さっきは鷲に喩えたが、むしろ月だな。それも闇夜を照らす満月だ」

 納得した面持ちのゲオルクに神子は戸惑う。村の面々以外で左右で瞳の色が異なるこの外見を目にした者は、たいていが気味悪がったり原因を聞き出そうとする。

 だから左目を隠すため、前髪を必死で伸ばした。動揺を見せるどころか、この左目を月に(たと)えられたのは初めてだ。

 村の外に出て、両目でしっかりと世界を見たのは初めてかもしれない。ゲオルクはそっと少女の頭に触れる。

「レーネ……名前がないならそう呼ぶ」

「好きにすればいい」

 神子は素っ気なく答える。名前など重要ではない。所詮は他者と区別するための記号だ。けれど、久々に与えられた名前に少しだけ気持ちが温かくなる。

「で、レーネは結局、何者なんだ? なにが目的で……」

「私は」

 ゲオルクの言葉を遮り、レーネはまっすぐに彼を見つめた。風が()ぎ、一瞬の静寂が訪れる。息もできないほどの静けさだ。

「私はあなたをこの地の新しい王にする。そのためにここに来たの」

 そう大きくもない凛とした声がはっきりとゲオルクの耳に届く。異なる色の瞳に捕まり目が離せない。

 理想の権力者がいないなら作ればいい。政治的にも人格的にも優れた者が王となる国を。
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