やわらかな檻
 僕と彼女の関係に土足で踏み込まれているようで、つい、苛立ちが生じてソファに手を着いたけれど。

 完全に腰を浮かしてしまう前に冷静な自分が歯止めをかけた。軽く肘掛けのスプリングが鳴り、途中で軋む音が止む。


「……後で、自分で行きます」


 彼女への執着が残っていると行動で示すのも、そうと見透かされるのも、かと言って兄に手を貸されるのも嫌で、結局座ったままで答えた。

 兄は低く地を這う声に「怖いなあ」と大袈裟に肩を竦めて、襖の方へと身を翻した。

 恐らく差し入れを持って来るのだろう。

 みっともなく追いかける気にはなれなかったし、あっという間に遠ざかって後ろ手に襖を閉める背中も、来なくていいのともったいぶる素振りは見せない。


「弟君に任せたらいつまでも食べない可能性があるからね」


 そう言えば先ほどまで寒いと煩かったはずだが、外に出るまでのフットワークが異様に軽いことに今更ながら驚いた。 


 邪魔者がいなくなった隙を縫って本を読めるかと思いきや、手許の文章を目で辿ってもちっとも頭に入ってこなかった。

 お陰で何度も同じ場所を読み返している。漠然と眺めている、に近いかもしれない。

 思い浮かぶのは今も目に焼きついて離れない、僕が追い出した彼女の傷ついた瞳。瞳に宿る大粒の、透明な涙。

 それに加えて兄が言っていた差し入れ――差し入れとは、あの日、同じように持ってきていたものだろうか。

 それとも昨日今日? 何も知らなかった。

 ふいに襖の反対側から声が聞こえた。

 求めに応えて襖を開けに行くと、そこには片手をケーキの白い箱、もう片手を抹茶茶碗で埋めた兄が立っていた。
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