やわらかな檻
 そう言って兄が出て行った後、寝る前にすべきことは沢山あった。

 着替え、歯磨き、暖房を消すかタイマーに切り替えること。ケーキの箱を離れの冷蔵庫に戻すこと。しかし兄に対応して疲れたのか、まだ午後九時なのに一気に眠気が襲いかかり、どれも出来ず倒れるように布団に横になった。

 遠のく思考の片隅で暖かな和室に放置されたケーキの行方を考える。冬場と言えど明日には食べられなくなっているだろう。捨てなければならなくなる。駄目だと思う反面で、それで良い気もした。

 慣れきった甘みが減るのを見ながら全て胃の中に納め、ついに空になったトレーを見て絶望するよりは、もしくは己の決断で今捨て去るよりは、明日の朝に「悪くなっているから」と理由をつけて捨てる方が余程楽だ。

 閉じた瞼の裏に浮かぶのは彼女の姿だった。

 確かに傷つけた。自分でも明確に説明しきれない曖昧な理由一つで。怒ったり、嫌われたり、見放されて当然の筈なのに、何故それでも彼女はケーキを持ってきたのだろう。

 もし兄ではなく、僕が応対していたら? もう一度突き放されるとは思わなかったのだろうか。

 そんな風に彼女のことばかり考えていたので、夢に出てきたのはある意味当然と言えた。

 夢だとはすぐ分かった。『クリスマスキャロル』に出てくるような洋館、薪が爆ぜる暖炉とテーブルに余るほど乗ったご馳走、手作りのケーキ風ホットケーキを並べて満足そうに微笑む彼女。天井の端から端に吊り下げた、折り紙を丸めて作ったリングの鎖がしゃらしゃら揺れて、そこだけ変に現実味があったけれど。

 夢なら夢で、二度と覚めなくて良かった。


――…小夜。


 こめかみに冷たい滴が触れて、意識がふっと浮上した。うん、と応える声が聞こえた気がした。
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