ミニトマトの口づけ


「先生、次は桃」

「はいはい」

おにぎりを食べる片手間に、先生はフルーツカクテルを私の口に放り込む。
我が家には朝食になるようなものが何もなかったので、先生は車でコンビニまで行っていろいろ買い込んできたのだ。

「次はみかん」

「みかん……は、もうない」

「じゃあパイナップル」

「はい、パイナップル」

プラスチックのフォークに刺して、唇を割るように入れてから、ゆっくりフォークを抜き取る。
唇の端から零れたシロップを、先生の指がぬぐっていった。

「先生」

「あとはパイナップルと梨しか残ってないよ」

「好きです」

フォークからぽたりとシロップが落ちた。

「今!?」

「だって、言いたくなったから」

先生はテーブルについたシロップを紙おしぼりで拭いた。
私はおにぎりを持つ先生の手を引き寄せ、大きくひと口かぶりつく。
鮭のかたまりが全部、私の口に入った。

「俺、生まれ変わったら、絶対違う人を好きになるんだ」

そう言って、ただの塩むすびになったおにぎりを口に詰め込む。

「頑張ってください」

先生は苛立たしげに、コールスローの端に添えられていたミニトマトにフォークを突き立てた。
そして私の口に突っ込む。
それはいつものカフェのミニトマトより大きくて、私は顔をしかめて咀嚼し、どうにかこうにか飲み込んだ。
先生の立てた笑い声が空気に溶けて、部屋の隅々にまで染みていく。

「行ってきます」

一度空を見上げて、ため息とともに先生はそう言った。
悲壮感溢れる背中に、雨がよく似合う。

「行ってらっしゃい」

「あ、今日は月始めだからミーティングある。来るのちょっと遅くなります」

「わかってます」

「じゃあ、また夜に」

先生を見送って、洗い物と洗濯を済ませても、吐き気は全然やってこない。
明日はもう少し、たとえば先生が買いすぎたパンでも食べてみよう。

いつもより乱れたベッドを直したら、いつもとは全然違う匂いがした。
吸い寄せられるように枕に顔を埋める。
汗なのか湿気なのか、少ししなしなしている。

『唯衣の匂いがするんだよ』

と、純也は言っていた。

『唯衣が帰っても、少しの間、部屋の中が唯衣の匂いがする』

『それは好きなんだよな』

この部屋に、先生の存在を示すものは何もない。
それなのに、充満する水蒸気のひと粒ひと粒に、先生の気配がする。
サンドイッチを食べるとき必ずレタスを落とすこと、汗を浮かべて治療をする真剣な顔、カットソー越しの体温、10cmの距離で見る奥二重。

サアサアというしずかな雨音が聞こえていた。
雨と先生の気配に包まれて、私はまた眠りに引き込まれていく。

早く夜になれ。



end.

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