あなたとはお別れしたはずでした ~なのに、いつの間にか妻と呼ばれています~
莉里の説明は難解だったようだが、無事に着いたようだ。
「樹さん、降りますよ」
樹がスマートフォンを見ていたら、井上が声をかけてくれた。
「なんとか時間に間に合ったかな~」
莉里はウキウキとした様子で、画廊のオープニングパーティーが楽しみでたまらないらしい。
樹はタクシーから降りようと、一歩踏み出して辺りを見てから驚いた。そこは見覚えのある場所だったのだ。
(ここは……)
かつて『画廊 奥村』があったビルだ。
外観は渋い大理石をイメージした素材を使った五階建てのビルで、確か二階までを画廊として使っていたはずだ。
ビルの上階部分には社員の住居や貸事務所があったと記憶している。
ずっとこの辺りに足を運んでいなかったから、数年の間にビルの所有者が誰になったのかわからない。
『アートギャラリー M』という洒落た文字が目に入った。
井上と莉里は迷いもなく中に入っていくが、樹は躊躇した。
和花と会えないまま何年も時が流れたというのに、未だに画廊だった頃を忘れていない。
樹はビルを見た瞬間から、懐かしさで胸が一杯になっていた。
ギャラリーの入り口はふたつに分かれていて、一方が画廊でもう一方はアンティークショップになっている。
ふたつを併せて『アートギャラリー M』と呼ぶらしい。
どちらの入り口にも豪華な胡蝶蘭が飾られている。
樹は画廊のドアから中に入ってみたのだが、隣のアンティークショップとも中は繋がっているのだ。
意表を突くようで、よく考えられた造りだ。
まったく違う趣なのに違和感がない。しかも空間が広いだけあって、日本だとは思えない雰囲気だ。
(パリかロンドンにいるかと錯覚するな)
和花の父は格調ある作品を好んでいたが、この画廊は若い画家の作品が多いらしい。
一番の奥には、二階に上がる螺旋階段も見える。
上はまた別の雰囲気になるのだろうか。
想像力をかきたてられるような雰囲気に、樹は探検をしているような不思議な気分を味わっていた。