冷徹外科医と始める溺愛尽くしの政略結婚~不本意ながら、身代わりとして嫁ぎます~
「念書を作成する段階で、最後の最後に父は再び〝陽さんだったね?〟と尋ねたのを覚えていますか?」

 父の表情が若干青ざめていく。身に覚えがあると言っているも同然だ。だが、認めたくないのか、肯定の言葉は口にしない。

「あなたは顔合わせの場で、あえて優の名を口にしなかった。まるでごまかすように、父と今後の話ばかりをしていた」

 言われてみれば、そうかもしれない。普通なら、互いの紹介をするはずだが、あの場でそういったものはほとんどなかった。

「これが、法的拘束力の強い書類でなくて助かりましたね。三橋社長」

 少しばかり意地の悪い表情で、一矢さんが手に持っていた紙をヒラリと振ってみせた。

「たしかに、約束した通り嫁いできたのは三橋家の血を引く女性だった。だが、弁護士も同席した場で、口約束とはいえ二回も娘の名を確認したにもかかわらず、ふたを開けたら違う女性が嫁いできただなんて、ずいぶんと不誠実ではないですか?」

「そ、それは……」

「名前までは記されていないとはいえ、法的拘束力の強いものだったら、なんらかの対処をとっていたかもしれませんね」

 珍しく言葉に詰まる父を見ていると、これまでどうしてこんな人に怯えていたのかという気持ちになってくる。

「こちらの条件を呑んでいただければ、水に流しましょう」

「……どんな条件だ?」

 いかにも渋々という雰囲気で、父が尋ねた。

「ひとつには、金輪際、三橋陽を私たちに近づけないでいただきたい」

「あ、ああ。わかった」

 そう答えた父の声に被せるように、突然女性の声が響いてきた。

「ちょっと、優が来ているって聞いたわ。どういうことよ」

「お、お嬢様、お待ちください」

 突然入り口付近が騒がしくなったと思ったら、使用人を振り切るようにして陽が入室してきた。さっと立ち上がった一矢さんは、陽の視界に私が入らないように背中に庇ってくれた。

「勝手に入ってくるな!」

「なんでよ! ちょっと、なんで失礼な男までいるのよ」

 すっかり一矢さんを敵認定しているのか、陽は彼を忌々しげに睨みつけた。

「いい加減にしろ! お前が余計なことをしたせいなんだぞ」

「余計ってなにがよ!」

 一瞬にして頭に血が上ってしまった父は、ここに私たちがいるのも忘れたのか大声を張り上げた。我慢の限界だったのだろう。

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