冷徹外科医と始める溺愛尽くしの政略結婚~不本意ながら、身代わりとして嫁ぎます~
揺れる気持ち
 昨夜は二十四時ちかくまで起きていたが、それまでに一矢さんが帰ってきた様子はなかった。事前に夕飯はいらないとメッセージが残されていたのだ。なにか予定があったのだろう。

「おはよう」

 遅い帰宅だったのなら、呼び出しがない限りは早い時間に起きて来ないだろうと油断していたところ、不意を突くように背後から声をかけられて、思わず飛び上がりそうになった。

「お、おはよう、ございます」

 このマンションに来てもうひと月あまり経ったというのに、彼と顔を合わせた時間は極端に少なくて、挨拶をするのでさえこのありさまだ。

 部屋に戻るべきか朝食作りを続けるべきかと迷ったが、一矢さんがさっさと食器を出しはじめたため、それに従うのがよいだろう。

「今日は豚汁か。うまそうだな」

 気づけば彼は、私の真横に立っていた。
 いつになく近づかれたうえに、私の作ったものに対してかけられた温かい言葉に、思わず胸が高鳴ってしまう。
 この距離は、彼にとって不快じゃないのだろうか。

「さ、魚を焼くつもりなので、もう少しだけ、その……」

「ああ、悪い。急かすつもりはなかったんだ。今朝は時間に余裕がある。部屋に行ってるから、できたら声をかけてもらえるとありがたい」

 思わぬ頼まれごとに目を丸くしたまま、戻っていく大きな背中を見送った。

 いつ頃からだろうか。
 一矢さんが私に向ける言葉からは、最初に感じたよう刺々しさがなくなってきた。
 なれ合うつもりはないと宣言された通り、彼はこれまで不必要に近づいて来はしなかったが、その態度は徐々に変化している気がする。
 気を許すとまではいかないものの、ずいぶんと軟化したように思う。

 それに用意した料理は可能な限り毎回きちんと食べてくれるし、冷蔵庫に貼られるやりとりも続いている。猫型のポストイットを使い切ってしまった今は、新たに購入した花の形のものに変わっている。

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