メール婚~拝啓旦那様 私は今日も元気です~
「灯里ちゃんっ!」
手術室の前で、ぼんやりと座っていた灯里のもとに、今西と晴夏が駆け寄ってきた。
「灯里ちゃん怖かったよね…」
晴夏は灯里をギュッと抱きしめ、今西は焦ったように「安西は?」と聞いた。
「今、手術を受けています。刺し傷は背中の一か所だけで、幸いにも心臓は外れていました。ただ、出血が多くて…。私、手術の同意書にサインしました。私が陽大さんの生死に関わるものにサインなんてしてはいけないのに…。私なんて、私なんて家族でもないのに…」
書類上の妻である灯里には重過ぎるサインだった。
でも、そういうことなのだ。結婚は相手に対して責任を持つということ。
深く考えずに、偽装結婚に同意した灯里がバカだった。
放心状態で答える灯里の背中を、晴夏は泣きながら強くさする。
「灯里ちゃん、辛い思いをさせて本当にごめんね」
「両親が事故にあった時も、こうして一人で手術室の前で待ってた。でも手術が終わっても、二人とも帰ってこなかったの。陽大さんも…、陽大さんも帰ってこなかったら?私が同意した手術で帰ってこなかったら、どうすればいいの?」
灯里の涙は静かに零れ落ち、晴夏のコートに吸い込まれていった。
「灯里ちゃんがサインしてくれてよかったんだ、安西の妻なんだから。安西もそう思ってる」
今西は強く言い、灯里の頭をガシガシッと撫でた。
「安西の妻」という言葉は灯里の胸に深く突き刺さる。
「妻って…、妻ってなに?ヤマダさんが陽大さんだったなんて、知らなかった。何回も会っていたのに、ヤマダさんは何も言ってくれなかった。そんな私なんて妻でもなんでもないっ」
灯里は感情を爆発させて、大声で泣きだした。
両親が死んで以来、泣くことは我慢してきた。灯里が泣くと祖父母がとても心配するので。
でも、どうしても止めることができない。
「安西の妻」という肩書がこんなに辛いとは思いもよらなかった。
偽装結婚で結ばれた安西は、偽名を使われるくらい、他人よりも遠い存在だったのだから。
灯里は声をころして泣き続け、泣き疲れた灯里の意識がぼんやりとしてきたとき、手術中のランプがそっと消えた。