メール婚~拝啓旦那様 私は今日も元気です~

当時、その町では、町おこしの方針で意見が割れていたそうだ。大手のリゾートホテルを誘致したい町長と、町に点在する空き家を古民家として再生し、活用していこうという青年部が対立した。なかなか折り合いがつかなかったので、住民投票をすることになり、結果的に古民家再生案が採択された。その後、〝古民家の街〟と話題になるほど町おこしは大成功したが、その案に反対していた町長が辞職に追い込まれる事態になり、小さな町ではちょっとした騒動に発展したらしい。

その話と安西がどうつながるかと言うと、住民投票をしたらどうかと勧めたのが安西だという。

「逆恨みですね」
灯里は警察からそう報告を受けた。

「安西は物事をあまり引きずらないタイプだが、その町長のことはかなり気にしていたんだ。最近も『あの人はどうなったかな』と言っているのを聞いた。こんなことになって、本当に残念だよ」
悔しそうに言う今西の言葉を、眠ったままの安西は静かに聞いていた。

その時の町おこしの経緯の説明や関連書類の提出に追われ、今西は一人で奔走している。合間を見つけて病院に来ては、「早く起きて手伝ってくれっ」と叫んでいた。

灯里は安西の手をさすりながら、「ヤマダ」と過ごした日々を思い返していた。

安西はなぜ偽名を名乗ったのだろう。

考えるのはよそうと思っても、どうしても考えてしまう。そして、最後は一つの結論しか思い浮かばない。

『灯里の旦那様であることが嫌だった』

つまりはそれに尽きるのだ。灯里が会いたいと思っていることを知っているのに、自分が安西だと言わなかった。いや、言いたくなかったんだろう。

最後に「話したいことがあるんだ」と言ったとき、安西が真剣な顔をしていたのを思い出す。あの時、何を言おうとしていたのかはもうわからない。

でも、ヤマダが安西だとわかったことで、灯里の「会いたい」という願いは叶えられた。安西は灯里が思っていた通り、とても素敵ないい人で、灯里には不釣り合いな旦那様だったのだ。

扉をノックする音がしたので、「どうぞ」と声をかけた。

「灯里ちゃん、お疲れ様」と言いながら今西が入ってくる。
安西の様子を伺いながら、「まだだめか…」と声を落とした。

「医者の見立てでは、そろそろ意識が戻るんじゃないかってことだが」
「そうですか。じゃあ、起きるのが嫌で、まだ寝ていたいのかな?」
灯里は安西の手を優しくさすった。

「私、コーヒー買ってきますね。今西さんも手をさすってあげて下さい」

灯里は椅子から立ち上がって、今西と入れ替わる。医者からは、手をさすったり声をかけたりして、なるべく刺激を与えて下さいと言われているのだ。

「まさか安西の手を握る日が来ると思わなかったよ」
今西はぼやきながら安西の手をギュッと握り、「おい、さっさと起きろ」と耳元で声をかけていた。

まもなく安西の意識が戻る。嬉しいことだが、灯里にとっては安西との別れを意味していた。

「ダメダメ、そんなこと考えちゃ」
灯里は自分本位な考えを追い出した。

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