メール婚~拝啓旦那様 私は今日も元気です~

その場に凍りついたように立っていた灯里だが、意を決して安西の元に歩み寄った。
昏々と眠る安西の手をもう一度握る。

温かくて大きな手。

「お世話になりました」と頭を下げ、最後に軽くキュッと握った。

今西が戻ってくるのを待たずに、灯里は病院を後にした。安西が意識を取り戻すまでは通うつもりだった病院通いも、もう今日で終わりだ。

帰宅して、灯里は真っ先に安西と交わした契約書を確認した。

『お互いの異性交遊に口出しをしない』

この一文を見た時は「異性交遊って言葉、今でも使うんだ」と感心したことを覚えている。もしかすると、初めから亜里沙の存在があったのかもしれないなと、今になって妙に納得した。

離婚後すぐ別の人と結婚することを告げると、灯里が気を悪くすると思ったのだろうか。
それか、離婚後の灯里の行く末を心配してくれたのか。

灯里は寂しく笑った。
安西はやっぱり優しい人なのだ。

『理由なく赴任先を離れた場合には、慰謝料は支払われない』

その項目を確認して頷くと、灯里は書類をしまった。

   *

翌日は、朝一番で役所に行く。
不二子ちゃんに乗り込んだとき、すっかり手に馴染んだハンドルをなでた。
不二子ちゃんにはどれほどお世話になっただろう。点々と各地を移動する中で、近場の時には自分で運転をして引っ越した。灯里の田舎暮らしを支えてくれた大切な相棒だ。

ありがとうの気持ちを込めて、最後は丁寧に洗車することにしよう。
灯里は慣れた手つきで車を発車させた。

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