夜桜
屯所から少し離れたところに、それはあった。中からは悲鳴が聞こえた。

「ここが拷問部屋だ。」

言うまでもない。 中から聞こえてくる物音は、古高を痛めつけるため。

中から聞こえてくる悲鳴は、古高本人のもの。

中に入ることを少しためらったが、土方さんに続いて中に入った。

「古高は、何か吐いたか?」

「いいや、全然駄目だ。」

永倉さんが手ぬぐいで汗を拭いた。
奥にいる沖田さんも首を横に振る。
永倉さんと沖田さんの間に人が寝ている。

上裸になり、手と足を拘束されている。

古高だった。目をカッと大きく開き、息を切らしている。

「俺がやろう。 水を持ってこい。」

「分かりました。」

井戸へ向かい、水を汲んできた私は、その水がどういう風に使われるか予想もしなかった。
何も知らないまま土方さんに水を渡した。

すると、勢いよく古高の顔にかけた。

「水攻めだ。」

古高は、かけられた水に溺れていた。
だが、死にはしない。

ある程度加減した水の量を 浴びせたため、古高は拘束された体をばたつかせた。

「答えろ。会談はいつ、どこで行われる?」

口に含まれた水を吐き、古高は涙目で言った。

「だから、それは誰から聞いた!?」

「質問に答えろ!」

もう一度水をかけられ、再び苦しんだ。

やがて落ち着き、憔悴しきった目で周りを見渡した。やがてその目は私をとらえた。

その途端、勢いよく目をかっぴらき、私に言った。

「葵……か?」

古高の頭には、疑問しか浮かんでないだろう。
なんせ、惚れた遊女が目の前にいるのだから。
化粧はしていないが、女の格好をしているから、すぐに葉と分かっていたのだろう。

「どうして、お前がここに?」

何も答えないでいると、古高は大声で叫んだ。

その叫びが、私に向けての怒りだということに気づくまで、時間はいらなかった。

「信じてたのに……!!」

叫び終えた古高は、涙を流して言った。

「俺は本気でお前のことが好きだった。なんでも話せて、俺の全てを肯定してくれた。いつか、お前を身請けする日を夢見て働いた。なのに...そうか。裏切ったんだな。」

「私の任務は、敵であるお前から情報を奪うこと。ただそれだけ。」

古高は、じっと私を見た。

「心は痛まないのか。」

「仕事ですから。」

「お前は俺に夢を語ったよな。 平和な世、と。いつか平和な世の中になればいいのに、と。」

「夢というものは、決して絶対叶うものではありません。 例え叶わないと思ったとしても、夢を見るのは自由です。」

「その夢と真逆なことをしていることの自覚はあるのか?」

私は何も言わなかった。 その通りだから。

だが、平和な世を作り上げるには、己の考えを貫くことが大事だ。

古高もできるだけ人は殺したくないと言っていたにも関わらず、京の都に火をつける作戦を企てていた。 ここで矛盾が生まれる。

己が助かりたいだけに、その時の感情に身を任せて発言する気持ちも分からなくはない。

だが、その前に自分の発言や行動を見直さなくてはならない。

このように、矛盾が生まれてしまうから。

いかにも、自分は全く悪くないと言っているように聞こえるが、この世の中に、何が正解かなんて分からない。

皆、生い立ちも違えば、志も違う。

このすれ違いで、殺し合いが生じる。
仕方のないことだった。

そのことを古高に言うと、奴はもう何も言わなかった。

「…休憩は充分に与えた。 水を持ってこい。」

もう一度井戸へ向かおうとすると、古高が口を開いた。

「今日… 池田屋か四国屋でそれが行われる。」

古高は、光を失った目で、天井を見ていた。

「やっと吐いたか。」

永倉さんと沖田さんは近藤さんの元へ行った。報告に行くのだろう。

「どうして急に吐くようになった?」

私が答えると、古高は私を見て言った。

「何が正解なんか、分からない。俺の志は、間違っているものだろうか。それさえも分 からない。だから、もうどうでもいいんだ。」

「志を捨てた武士になったと?」

私が言うと、土方さんが言った。

「志を捨てた人間に、お前は武士と言う言葉を使うのか?」

土方さんの言葉に私はハッとなった。

「発言を訂正させてください。 土方さんが言う様に、彼は武士でもなんでもありません。」

「ああ、そうだな。」

私たちの会話を聞いた古高は、言った。

「もう、俺を殺してくれ。」

「生き地獄を味わう方が、お前にはいいんじゃねえか?」

土方さんは呆れ顔で言った。

「この娘に論破されて志を捨て、仲間を売ったお前には、丁度いいだろう。」

古高は涙を流した。

「お前が演じた葵は、こんな姿の俺を見たら、笑うだろうな。」

「志を捨て無ければ、 笑わなかったと思います。」

「そうか。」

これ以上高は何も言わなかった。

土方さんは目を伏せ、煙管で煙草を吸っていた。

「俺の主を殺したのは、あんたか?土方。」

土方さんは、ため息と同時に煙を吐き、言った。

「……ああ。」

「……やっぱりな。俺も、俺の主も、お前が鬼に見えたさ。」

私は拷問部屋から出た。 そして、何も思うことなく、空を見た。

罪悪感なんてものはないが、少し、胸が痛んだ。

「敵に同情するのか?」

土方さんが隣に並んだ。

「奴が私に情けを求めるのは、間違っているとは思います。同情するなんてこともありません。ですが……」

「まあ、言いたいことは分かる。俺も、人間性を捨てる前は、そうだった。」

「人間性を捨てる……」

「ああ。お前も拷問を見たからには、覚えておけ。 この世で成り上がっていくには人間性を捨て、鬼になることが必要だ、と。」

新選組の鬼の副長の土方さんの考えは彼らしいものだった。

だが、土方歳三一人の人間を見ると、 それはどうだろうか。

土方さんは、優しい人だと思う。優しさが強いから、鬼にならなくてはいけなくなったのだろうか。

それとも、鬼になるのではなく鬼になりきっているのではないか。

私の脳内にちらついたものの真実は、本人にしか分からない。

土方さんの目は、鬼そのものだ。

光が失われたその目で、一体今までどんなものを見てきたのだろうか。

だが、色んなものを見てきたからこそ、優しさというものがある、そんな気がする。

「鬼の副長と呼ばれる土方さんですが、私には、鬼の仮面をつけているようにも見えま す。」

土方さんの眉毛がピクリと動いた。

「何を言っているか全く分からない。 今夜、池田屋か四国屋に行くことになる。お前も、出陣の準備をしておけ。」

「分かりました。」

結局、土方さんの思っていることは分からなかったが、一瞬、私に見せた土方さんの表情は、何とも言えない顔だった。

安心しているような、驚いているような。

いつか、土方さんの過去や本音を聞ける日が来ることを待つ。

これが、私が土方さんの事を知るには、最善だった。

「隊士は全員集まったか!?」

「はい!いつでも行けます!」

「出陣先は池田屋か四国屋!山崎はまだ来ないのか!?」

「あの、山崎さんは今どこに?」

隣にいた沖田さんに聞いた。


「偵察です。 池田屋と四国屋、どちら が本命か、まだ分かりませんからね。もうじき、山崎君が伝令にくると思います。」

「そうですか。」

山崎さんの伝令が来るまで、私たちはここで待機…か。

緊迫した冷たい空気に頭が痛くなる。
しびれを切らした近藤さんは立ち上がり、大声で言った。

「二手に分けて出陣する!俺は池田屋、トシは四国屋に向かう!」

「どちらかが本命だ。自分の隊が本命ならば、伝令を人走らせろ。本命ではない方は、 その伝令を聞き、現場に迎え。」

皆一斉に了解し、 二手に分かれた。

「椿!お前は、近藤さんと共に池田屋へ迎え。 池田屋が本命だった時、近藤さんを頼んだぞ。」

「分かりました。 土方さん、どうか、 死なないで。」

「ああ。お前もな。 そっちが本命だったときは、頼んだぞ。 すぐに行くからな。」

「はい、では。」

私は土方さんと別れ、先を行った近藤さんの隊を追いかけた。
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