密かに出産するはずが、迎えにきた御曹司に情熱愛で囲い落とされました
「春香さん。ほかに悩んでることがあるのでは? 我慢しないで、なんでも話してください」

君塚先生が仕事モードの硬い声で言った。
私は深呼吸をして、膝の上で握る手に力を込める。

話してみようかな……。
今まで誰にも話してなかった。

法律で解決できるとも思わないけれど、誰かに吐き出してスッキリしたい。

「私、先月までセレクトショップに勤めてたんですけど、そこの店長と不倫しているというありもしない噂を流されて……」

言い終えて、私は息を吐いた。

吐き出した息と一緒に心の中に居座ってなかなか晴れない黒い霧も消えてなくなればよいのだけれど、そんな都合よくもいかない。

「噂を聞いた奥さんが職場にやって来て、私に怒鳴ったんです。お客様もたくさんいて、騒ぎになってしまいました」

まだ自分でも心の整理ができたとは到底言いがたいので、話すのは暗い気持ちになる。

奥さんは『この不倫女! 慰謝料を払ってもらうわよ!』とわめき、取り乱した。

私は勘違いであることをなんとかわかってもらおうとしたけれど、冷静に対応したのが余計に奥さんの逆鱗に触れてしまったようだった。

「それで、肩身が狭くなって……。退職しました」

かばってくれる人もいたけれど、お客様から疑いや好奇の目で見られている気がして、接客に身が入らなくなってしまった。

「なるほど」

顎に手をあて、神妙な顔つきで君塚先生がつぶやく。

「噂を流した人物に、心当たりはありますか?」

私は首を横に振った。

お酒には強くないけれど、飲まないと平常心を保つのが難しい。
三杯目のグラスもすぐに空になる。

「その噂は他店舗との交流会の後から流れ始めたので、おそらく参加した人の誰かが私と店長の仲を疑ったと思うのですが、参加者は三十人ほどいたので。誰かはわからないです」

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