ハズレの姫は、獣人王子様から愛されたい〜もしかして、もふもふに触れる私の心の声は聞こえていますか?〜

どうしたらいいの

 翌朝、目覚めると、ベッドにシリル様の姿は無かった。
 そっとシリル様が寝ていた場所に手を触れる。シーツは既に冷んやりとしていた。

 一人で着替えを済ませ、モリーさんが用意してくれた朝食を部屋で食べる。

「シリル様は本日、朝早くからご予定がございまして、すでにお出掛けになられております」
「……そうですか」

 シリル様に会えなかった事を、少し寂しく思いながら朝食を済ませた。
 それ以降、私には特にする事がなかった。
家にいた頃のように、掃除や洗濯をする訳にもいない、私はリフテスの王女としてここにいるのだから。
 それにここはマフガルド王国のお城の中。お嫁に来たとはいえ、つい最近まで敵国だったリフテス人の私がウロウロと歩き回る訳にもいかないと思う。(……人は嫌われているから)

 「お暇なら刺繍をしませんか?」

 モリーさんに勧められ、ハンカチに刺繍をする事になった。
 刺繍はメリーナに教えて貰っていて、私の得意な物の一つだ。
 ハンカチに図案を描きチクチクと針を刺す。

「エリザベート様、その刺繍はどなたかから習われましたか?」

 私の刺繍を見ていたモリーさんが、目を見開き聞いてきた。
 そんなに珍しいのだろうか? もしかするとマフガルド王国の刺繍の刺し方は違うのかもしれない。

「これは、メイドのメリーナに教わったのです。私が生まれた時から一緒に暮らしていて、私にとってもう一人の母親の様な人でした。刺繍もですが、お料理や服の仕立て方も彼女に教わりました」

「……まぁ、そうでしたか」

 なぜか驚いた様な顔をするモリーさん。
 ……どうしたのだろう?

「あら、もうこんな時間です、お昼の用意をして参ります」と、モリーさんが部屋を出た。
 もちろん扉にはしっかりと鍵を掛けて。


 お昼も一人部屋で食べ、する事もないのでずっと刺繍をしていた。

 ハンカチの隅に、メリーナから教わったピンク色の花の刺繍を施した。
 この花は私は知らない花だけど、メリーナの故郷に咲いている花らしい。

 大切な人に贈る花だと聞いている。
 
 星の様な形の花、ピンク色の中に一つだけシリル様の瞳と同じ、金色の糸で刺繍を入れた。





 暮れ方、モリーさんに告げられた内容に、私は目を見開いてしまった。

「エリザベート様、本日のディナーは王族の方々と召し上がっていただきます」
「……王族の皆様と、食事をするんですか?」
「はい、シリル様もいらっしゃいますから、心配入りませんよ。さぁ、お支度を致しましょう」

 モリーさんは、私の為に作られたという薄いピンク色に金色のレースの着いた豪華なドレスを持っていた。

(王族って、綺麗な服を着て食事をするのね……)

 私の髪をモリーさんが楽しそうに、ドレスに合わせてハーフアップに結い上げてくれた。
 お化粧をしてもらい、ドレスに袖を通すとどこから見ても立派なお姫様が完成した。

「お綺麗です、エリザベート様」

 大きな姿見に映る私は、母さんによく似ていた。
出来栄えに満足したモリーさんが、鏡越しにニッコリと笑う。

「ありがとうございます」

 豪華なドレスを身に纏い、踵の高い靴を履く。立っているだけでやっとの高さに、何度も転びそうになり歩いていると、モリーさんが手を貸してくれた。
 そうして向かった、城のダイニングルーム。

 扉の前まで来ると、モリーさんは心配そうに私を見つめる。

「エリザベート様、私はここまでです。中には入りません、どうか何かあればシリル様を頼られて下さい」
「モリーさん、それはどういう……」

 言葉の意味を最後まで聞く前に、ダイニングへ続く大きな両開きの扉が、そこにいた使用人達により開かれた。

 そこには、すでに王族の方々が揃っていた。

 正面一番奥の席に、馬車で会ったマフガルド国王様が座っている。その隣には、王妃様がおられた。

 テーブルの両サイドには、八人の王子様達が分かれて座っている。
 王子様達はそれぞれ色の違う、軍服の様な衣装を見に纏っていた。

 皆の視線が私へと一斉に注がれ、思わず息を呑む。

「エリザベート、こちらへ」

 立ち止まる私に、マフガルド王が隣へ座る様に告げた。

 一歩進み出そうとした私の下へ、黒地に金糸の装飾の衣装をまとう凛々しいシリル様が、スッと現れ手を差し伸べる。
 私は、シリル様のその優雅な仕種と端麗な姿に見惚れてしまった。

「エリザベート、手を」
「………」

 ……手⁈

 シリル様はとまどう私の手を取ると、腕に乗せゆっくりと歩き出す。まるで、慣れないドレスと踵の高い靴に上手く歩けず、モリーさんに連れられて来たことを見ていたかの様に。

 「私の妻となるエリザベートです」

 王様の前に立ち、シリル様が告げる。
 正式なお辞儀の仕方が分からないが、とりあえずドレスを持ち膝を曲げ頭を下げた。

 顔を上げると、王様と王妃様が微笑みを浮かべ頷かれた。
(……大丈夫だったみたい)

 シリル様は、王様から斜め前の席に、私を座らせその隣に腰を下ろした。
 王様のすぐ側のこの席に、私が座ってもいいのだろうか。

 そっとお二人に目を向けると、優しい笑みを浮かべ頷かれた。

「王妃と王子達がどうしても一度、リフテスの王女に会いたいと言うのでな、今宵は来て貰ったのだ」
「……はい」

 王様は柔和な微笑を浮かべ言われた。続く様に王妃様も話される。

「まあ、愛くるしいお姫様ね。ようこそマフガルド王国へ。私はシンディ・ルルージュ・ドフラクス・マフガルドです。シリルの母親よ」
 花のように微笑む王妃様は、白銀の髪に青い目の大変美しい人だった。

「初めまして、エリザベート・ル・リフテスと申します」

 慌てて席を立とうとした私を、王様が手で制止される。

「エリザベート、そう畏まらなくてもよい。今宵は食事をとるだけだ」
「……はい」

「ハリア、始めよう」

 王様が声をかけると、一番端に座っていたハリア様が、テーブルの上にあるベルを鳴らす。

 ベルが鳴り止むと、扉を開けメイド達が入り、それぞれの前に美しく彩られた前菜を並べ、グラスにワインを注いでいった。

「では、いただくとしよう」

 王様の声に、それまで私を見ていた王子様達も、静かに食事を始める。


「エリザベート、どうした?」
「……いえ……」

 シリル様が、一向に食べ始めない私に向け、心配そうに声をかけてくれた。
 漆黒の尻尾がフワリと撫でるように、私の背に触れる。
 その感覚にほんの少しの安堵感が生まれるが、目の前にある問題に、私の心はすぐに不安に揺らいでいく。

 食べない理由は、緊張もあった。でも、それだけではない。

 テーブルの上にはたくさんのカラトリーが置かれていた。
 フォークが五本、ナイフが四本、スプーンが大小合わせて三本。

 どれを使うの? どうやって食べるの? 
 前菜からナイフを使う?
 フォークは皿の横から? 一番外から使うの?

 ……私は知らなかった。

 正式なマナーが分からない。

 王女と言っても名ばかりだ。

 一年前まで、ずっと庶民だと思っていたし、王女だと知ったところで、生活が変わった訳ではなかった。
 家での食事はナイフもフォークもスプーンも一つしか使わない。そんなに使ったら、洗い物が増えるばかりだもの……。

 それに、ここに来てからはモリーさんに用意して貰った物を使っていた。こんなにたくさん並べられた事はなかった。

 すぐに、シリル様達が手に取る様子を見ておけばよかったけれど、それも出来なかった。
 前の席に座る金色の王子様の後ろから、私に目を光らせているメイドが怖くて動けなかった。

 リフテス人である私を、嫌悪感を持って見ているだけなのか、それともあのメイドは、リフテスから送られている監視役なのか。

 私が逃げ出さないように見張りを付けると、あの時リフテス王は言っていた。

 どちらだろう……獣人に耳や尻尾があるとは限らない、特徴が見えなければ、獣人とリフテス人とは、見た目は変わらない。

 メイドの鋭い視線に体がすくむ。

 早く食べ始めないと……でも……。

(どれを使うのか分からない)

 そう、素直に言ってもいい?


 ……いや、ダメだ。

 『マナーも知らない様な頭の悪い王女を、リフテス王国は降伏の証としてよこしてきた』と思われるだろう。

 それとも、そんな事も知らないのかと笑われる?   
 王子様の嫁には出来ないと、リフテス王国へ返される?

 笑われるぐらいなら平気、けれど返されてしまったら、リフテス王国にいるメリーナがどうなるか分からない。

 私はどうなっても構わないけれど、メリーナはダメ。


 どうしよう……そう考えていた時。

「ほら、エリザベート」

 シリル様が一口大に分けた前菜をフォークに乗せ私に差し出した。

(えっ……シリル様?)

「口を開けろ」

 ツンとフォークの先が唇に優しく当たる。不安げに見上げると、フッとシリル様の目が優しく細められた。

「あ……」

「大丈夫だ」

 優しく囁くシリル様の声に胸が熱くなる。

 シリル様は、昨日の朝食の様に私の口に食事を運んでくれた。
 側にいるメイドに「俺の分とエリザベートの物は一つにまとめて持ってきてくれ」と告げ、私が口に入れている間に、彼は綺麗な仕種で食べている。

 もしかして……?

(私がマナーが分からずにいた事に気づいて、食べさせてくれたの?)

 そう思い彼を見ると、黄金の優しい目が私を見つめ返した。

 シリル様は気づいている。

 私がマナーが分からず困っていた事に。
 聞けずにいた私を、さりげなく助けてくれたんだ。

 そう思うと泣きそうになった。

 でも、泣いちゃいけない。ここで泣いたら変に思われてしまう。


 他の王子様達は、私に甲斐甲斐しく食事を運ぶシリル様を、呆気に取られた顔で見ていた。

 そんな兄弟達の顔は、まるで見えていないかの様に、平然と食事を続けるシリル様。
 同じ物ではエリザベートの口には大きすぎるから、そう言ってフォークは私に食べさせる物と自分の物と使い分けていた。
 さりげない気遣いが嬉しかった。

 かりそめの王女の私とは違う……。

 シリル様は生まれながらの本物の王子様だ


「なんだシリル、お前は嫁にはそんなに甘いのか……」

 驚いたように王様が言うと、王妃様は満面の笑みを浮かべ「まあっ! ゼビオスも最初の頃はよく食べさせてくれましたものねっ! 懐かしいわっ! 私にも昔の様に食べさせて?」と言い、王様から食べさせてもらっていた。
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