春の花咲く月夜には
終業後、午後7時。

私は、会社から3駅離れた駅ビルにある、書店の雑誌コーナーを眺めていた。

ここで咲也と待ち合わせ。

退屈せずに待っていることができるから、待ち合わせ場所は本屋さん、というのが私たちの決まりのようになっていた。

「心春さん」

後ろから声をかけられて、私はすぐに振り返る。

少しだけ、息を切らした彼がいた。

今日は会社でも会っているけれど・・・、やっぱり、何度見ても彼のスーツ姿はかっこいい。

「賀上くん、お疲れさま」

私は笑顔で彼を見上げた。

すると彼は、私を見下ろしながら小さく笑う。

「・・・『咲也』。会社出てるし」


(あっ・・・、そ、そうか・・・)


普段、彼のことを「咲也」と呼ぶのは慣れたけど、会社では、もちろん「賀上くん」と苗字で呼んでいる。

今はもう会社の外だけど・・・、彼のスーツ姿に思わず「賀上くん」と呼んでしまった。

「ごめん。会社帰りはまだ・・・、オンオフの切り替えが下手みたい」

「・・・まあ、そうですね・・・って、オレも敬語はやっぱ混じるし」

「うん」

2人で笑った。

こういうところは、似た者同士かもしれない。

「・・・けど、たまに『賀上くん』って呼ばれるのも悪くないかな・・・」

さっきの呼びかけがよかったのか、悩むように咲也が呟いた。

私は笑って、「じゃあ」と言って彼を見上げる。

「今日は『賀上くん』にする?」

「・・・・・・、いや、やっぱ『咲也』で。心春さんに『咲也』って呼ばれるの、特別っぽくてなんか好きだし」

真面目な顔で呟く彼に、照れながら、私は小さく頷いた。

彼が、そう感じてくれているように。

「賀上くん」でも「サクヤ」でもない、彼を「咲也」と呼べるのは、私にとっても、すごく特別なことだから。

「・・・じゃあ・・・、咲也」

「うん」

満足そうに彼が笑った。

私のことも「心春」と呼び捨てにしてもいいのだけれど、咲也は「心春さん」って呼びかける音の響きが好きらしく、私の呼び方は以前のままだ。
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