エリートSPはようやく見つけたママと娘をとろ甘溺愛で離さない
 今度こそ、なにも言えなくなった。

 凍り付くどころではない。

 心が完全に無になった。

 頭の中も同じだった。

 思考がまったく動かない。なにも思い浮かばなかった。

「そういうわけだから。もうかずくんに会わないでね。婚約については私のほうで、改めて進めるから」

 がたん、と椅子が鳴る音すら、異世界で聞こえたような気がした。

 美穂は伝票を取り上げて、席を立った。

 隣に置いていた黒いエナメルのブランドバッグを取り上げる。

「じゃあね。ここは払っておくから」

 飲み物なんてひとくちも飲まなかったというのに、美穂はヒールの音をかつかつと響かせて、去っていく。

 お会計を勝手にされることも、去られてしまうことも、梓はなにも反応できなかった。

 ただ、アイスコーヒーの黒い水面を見つめるしかできなかった。

「お客様? 体調でもお悪いでしょうか……?」

 数十分後。

 見かねただろう店員に声をかけられて、やっとはっとした。

 そのときにはもう、アイスコーヒーの氷は全部溶けてしまい、美しかったブラックのコーヒーはぐだぐだの色になっていた。
< 28 / 327 >

この作品をシェア

pagetop