恋の魔法なんて必要ない!~厭世家な魔術師と国外逃亡した私の恋模様~
本能が逃げろと言っていた。
ここにいてはまた、私の何かが死んでしまう。
たまらず這いつくばって、扉へ向かう。
早く早く早く早く。
動け、この鈍い身体───...
重たいドアを押し開いて、外を見れば。
診療所の農夫たちで、助かったと安堵した。
でも様子が違って、あのひそひそ声。
蘇るおじさんの言葉。
────貴族がえばるばかりで、....お前さんも、...
───貴族の娘、だったんだと。
───憐れみで俺たちに絡んでたのか、結局─...
こんなこと実際に耳にしたことはないはずなのに、記憶を抉られるように声が響く。
思わず嘔吐した。
どこで間違えたのだろう。
私はどこで、何を踏み外したのだろう。
こんなはずないって、こんなのおかしいって。
知らんぷりして目を逸らして過ごしてきた全ての悪い気持ちが身体を覆い尽くして、心臓を縛り付けてくる。
私を助けてくれる人は、どうにもどこにもいないようで、生きてきた中で今が一番心細くて、吐いて吐いて。
朝から何も食べずに来て、胃は空っぽで、涙が溢れて止まらない。
あの黒髪、翡翠色の瞳、きれいな眉、高いシルエット。
イヴァン・ハンノルド。
意外と優しいのかと、最近は思うほど。
魔術師は心が読めるのか、違うのか...
イヴァン、イヴァン、
心の中で唱えたら、不思議と楽になって。
耳を塞いでいた手を離したら、まだ地獄はそこにあった。
戻したから当然匂う。
気持ち悪くて、もうわけがわからなくて、もう身体が動かなくなって。
いっそここで頭が爆発できたら楽なのに。
目だけはギラギラ醒めていて、それが苦しくて、唇はずっと同じ言葉。
イヴァン、イヴァン、イヴァン──。
「─────アンナ!!!」
その人の声が救いの音が、耳に届いた。