生贄姫は旦那さまのために悪役妃を演じる
 夜会。
 それは様々な思惑が飛び交う、腹の探り合いの場。
 綺麗に着飾ったその仮面の下で、この手の駆け引きで負け知らずの彼女は、今日も華麗に役割を演じる。

「旦那さま、そのまま視線だけ後方南南西の方角にずらしてください。柱時計と歌姫の像を線で結んだ左手側、赤いドレスを纏った女性のパートナーが旦那さまのお探しのターゲットです」

 淑女の笑みを浮かべたまま、優雅にワルツを踊りながら『生贄姫』ことリーリエは、その手を取ってダンスをリードする、彼女の夫アルカナ王国第3王子テオドール・アルテミス・アルカナに囁く。
 テオドールはリーリエに言われた相手を確認。

「ああ、確認した。よく分かったな。助かる」

 テオドールが低く響く声で返事を返す。

「旦那さま直々のご依頼ですもの」

 リーリエは表情を崩すことなく、囁き返す。

「私はこちらの会場でお待ちしておりますね。ご武運を」

 ダンス終了と共にお手本のように美しい礼をして、リーリエはテオドールを送り出す。誰が見ても上流階級の淑女の姿。
 だが、淑女の仮面の下でリーリエはいつもと違うテオドールの装いに、釘付けだ。

『あーーテオ様の正装最高かっ!! しかも褒められた。夜会の準備頑張ってよかった!! イケメンの微笑みプライスレス。もう推ししか勝たんっ。超眼福』

 と内心では叫んでいるなんて、きっと誰も気づかない。

『生贄姫』
 世間でそれは、戦争回避のため人質として隣国から嫁いで来たリーリエ・アシュレイの代名詞となっている。
 戦場で冷酷無慈悲に無双する姿やこの世界で珍しい黒髪と青と金のオッドアイを持つ容姿から"死神"と揶揄されるこの国の第3王子テオドールに和平の名の下無理矢理嫁がされた"生贄姫"。
 だが、その実態は異なる。

『はぁぁ、テオ様今日もめっちゃかっこいい。真面目に仕事こなす姿尊い。できる事なら現場まで着いて行って、無双するとこ生で見たいっ!! あー今日も幸せ過ぎるっ』

 実は彼女は前世の記憶を思い出した転生令嬢。
 自国カナンにいるときから、自身の持てる全ての才、知識、伝手などを駆使して、あの手この手で画策し、ようやく前世での最推しテオドールの元に嫁いで来たのだった。
 そして自身の破滅ルートを回避しつつ、念願の推し活ができている日常に、幸せを噛み締める毎日。などと、世間の一体誰が想像するだろう?
 推しの前では情緒を乱しまくるリーリエだが、長年培った彼女の淑女の演技は完璧で今のところ本性はテオドール以外にバレていない。
 そして最愛の推しからは"好きにしろ"と直々に許可が出ているので、彼女の推し活を阻むものは何もない。
 ちなみにリーリエは"推しは鑑賞して愛でる派"なので、2人は夫婦だと言うのにびっくりするくらい清い仲だったりする。

『さて、と。テオ様もお仕事に行ってしまわれたし、"社交"と言う名の情報収集でもしましょうかね』

 推しの活躍のためなら常に全力投球。居酒屋店員もびっくりなくらい食い気味で"はい、喜んで"と返事をするリーリエは、数少ない夜会出席の機会を最大限活用し、テオドールのために情報収集と情報操作を行う。
 生贄姫らしく、あまり目立ち過ぎないようにそれを行うのが彼女のいつもの過ごし方、だった。

「リーリエ妃殿下、結婚お披露目の夜会以来でございます。お目にかかれて光栄です」

「まぁ、ガードルート伯爵。その節はご配慮頂きありがとうございます」

 この日会場に一人でいるリーリエをめざとく見つけ、声をかけてきた相手を見て、リーリエはこっそりため息をつく。
 初回の夜会出席時、テオドールのはとこにあたるステラリア嬢を助けて以降"聖女"の噂が広まったリーリエに存在価値を見出し、擦り寄ってくる一派がいる。彼もその一人だった。

「ああ、妃殿下は本日もお美しい。皆妃殿下の美しさに目を奪われております」

「もったいないお言葉ですわ」

 ガードルート伯爵が声をかけてきたことを皮切りにリーリエの周りに人だかりができる。
 リーリエは扇子で口元を覆い、にこやかに笑って見せながらざっと目を通す。

「妃殿下の"聖女"としての奇跡。あれは夜会以降、語り継がれております」

「ふふ、私は"聖女"などではございません。たまたま私の魔術師としての魔法式が役に立っただけのこと。全てテオドール殿下のご配慮と采配のおかげですわ」

「またご謙遜を。みな妃殿下の謙虚さや聡明さに魅了されるばかりです」

 上辺を撫でた世辞と賛辞の数々に嫌気が差しながらリーリエは相手の出方を観察する。この一派は以前からマークしていた。
 リーリエは言葉の端々を拾い、表情を読み、近づいてきたその意図を裏まで読み解く。
 にこやかに対応しているリーリエに気をよくしたのか、ガードルート伯爵たちは声を顰めてリーリエに囁く。

「我々はいつでも妃殿下の味方です。"人質"としてあの"死神王子"の元で過ごされ、ご苦労も多い事でしょう。あの死神について、お耳に入れておきたいことが。詳しいお話しが必要でしたら、是非あちらで」

『ああ、嫌だ。吐きそう』

 "死神"という単語に反応し、リーリエは扇子で表情を隠したまま、ふっと微笑みを浮かべた。
 だが、その仮面の下で内心で激しく憤る。

『そろそろ、本気で目障りね』

 この一派をマークしていた理由。
 それは、隣国の人質としてカナンの技術を持つリーリエを得た事で力を持ち始めたテオドールを害そうとする動きがあるからだ。
 この一派は、特に社交界で影響を持っている。

『私の大事な"推し"を蔑める事がどれほど罪深いのか、そろそろご理解頂こうかしら』

 リーリエの地雷を踏んだ事に気づかない彼らはにこやかに笑うリーリエに尚もしっぽを振り続ける。
 テオドールが戻るまでまだ少しかかるだろう。
 リーリエは、今夜は悪役妃を演じることに決めた。

「興味深いお話しですわね。私少し退屈をしていて……良ければあちらでカードゲームでもしながらお話しするのはいかがです?」

 リーリエが話に乗ってきたと思った彼らは喜んで提案を受ける。
 リーリエはどれほど内心で憤っても、淑女の笑みを絶やさない。

「ああ、せっかくですから"賭け"でもいたしましょうか?」

「ほう、何を賭けられますか?」

「あなた達が誰かひとりでも勝てれば、あなた達の欲しいものを"なんでも"差し上げますわ。代わりに私が勝てば"ささやかな願い"を聞いて頂きたいのです」

 リーリエはパラパラとカードを切る。
 カードゲームは紳士の嗜みのひとつ。
 相手は隣国から来たばかりの世間も知らぬ御しやすい小娘ただ一人。
 乗らない手はないと、ほくそ笑んでいるのが見てとれる。

「あなた方のおっしゃる通り、私困っておりますの。"死神"の名に。私を助けて……くださる?」

 震える声でか細く、リーリエは告げる。翡翠色の瞳は陰り、懇願を表す。

「妃殿下は、やはりあの死神にお困りのご様子。我々ならあなたをお救いできます」

「ええ、きっとそうなのでしょう。ですが物事には手順と契約が必要なのです」

 リーリエは魔法式で縛られた契約書を取り出す。
 魔法式で縛られたこの契約は成立すれば、絶対遵守される重いものだ。 
 勝手に破棄しようものなら、地位も名誉も失う事になる。

「私の"全て"を賭けてあなた達に報いることを誓います。先程の内容で良ければ、サインを」

 取り出された契約書の重さにたじろぎつつ、チャンスだとばかりに伯爵たちは食いつく。
 勝てば全てが手に入る。
 "生贄姫"の価値は今市場でかなり高いのだ。

「ゲーム内容は……大富豪、などいかがです?富めるものと落ちるもの。まるで社会の縮図のようではありませんか? 一戦目ですが、私が大貧民、ガードルート伯爵が大富豪としてカード交換を行った状態でスタート。私が大富豪になれば私の勝ち。それ以外はあなた達の勝ちです」

 いかがです? と圧倒的にリーリエが不利な条件に伯爵達は息を呑む。
 生贄姫は負けるつもりに違いない、と。
 テーブルを囲ったメンバーにカードを配る。悪くない手。気楽にやったとしても、リーリエが1番に上がりさえしなければ勝てるのだ。
 万に一つも負けるはずがないとたかをくくる。
 そんな彼らを見て、リーリエは花が綻ぶように微笑む。
 その美しさに男たちは息を呑む。自分達のために利用するのだとしても、それは彼女のためでもある。
 "死神王子"から救うという大義名分。
 まるで、悪者から"聖女"や"美姫"を救うヒーローにでもなったかのような錯覚を覚える。

「さあ、ゲームをはじめましょうか?」

 リーリエの掛け声と共に、場にカードが放られた。

「こ、こんな……事がっ」

 瞬殺だった。
 リーリエが圧倒的に不利だったはずなのに、場はいつの間にかリーリエに支配され、あっという間に戦況がひっくり返され、そしてリーリエが大富豪として勝利した。

「ふふ。では、お約束お守りくださいませね?」

 リーリエは契約書をくるりと丸め、にこやかに笑う。

「"ささやかなお願い"の内容は後日通達いたします。ああ、魔法式で縛られてますからもちろん逃げられませんよ?」

 にこっと笑ったリーリエからは先程までの柔らかな雰囲気は一切感じられず、ぞっとするほどの威圧に背筋が凍る。
 ただの小娘と侮った相手が、とんでもない手練れであったのだとようやく認識した彼らは、彼女の言う"ささやかなお願い"の内容が聞かされていないのだという事実に今更ながら戦々恐々とする。

「リーリエ! やっと見つけた」

 仕事が終わったらしいテオドールがリーリエを迎えに来る。
 テオドールを見つけた途端、リーリエは場を凍らせていた威圧を収め、ぱぁーと幸せそうな笑みを浮かべてテオドールの元に駆け寄る。

「旦那さま、お仕事は終わられたのですか?」

「ああ、問題なく」

 駆け寄ってきた上機嫌なリーリエと、テーブルの上のトランプと死んだ顔をした男達を見てテオドールは状況を把握する。

「リーリエ……お前はまた」

「私が悪いのですか? 求められたので、"死神"の妻らしく応えたまでですが?」

 ぷくっと頬を膨らませるリーリエを見て、テオドールはため息をつく。
 よくできた妻は、自分の夫の悪口に関してだけは、どうにも狭量過ぎる。
 完膚なきまでに叩きのめされた伯爵達に若干同情しつつ、リーリエを抱き寄せて伯爵達に告げる。

「妻の相手ご苦労だった。が、今後は発言に気をつけるといい。彼女は髪の毛1本に至るまで、俺のモノなのだからな」

「ええ。私は全て、旦那さまのものでございます。もちろん、こちらの契約書も」

 テオドールに引き寄せられたまま、唇に指をあて小首を傾げたリーリエは見せつけるようにそう笑う。

「いくぞ」

「はい、旦那さま」

 呆然とする彼らを残し、リーリエはテオドールに手を引かれ、ヒールを鳴らして優雅に去っていく。
 会場でそのやりとりを見ていた者達も含め、その場にいた人達は知る。
 "生贄姫"の所有者は誰であるのか。
 そして、彼女を御せる人物はただ一人であるということを。

 会場から出た後で、リーリエはいつものようにふわりとした優しい空気を纏い、

「演技、上手くなりましたね。旦那さま」

 と嬉しそうにテオドールに話しかける。

「これで少しは静かになると良いんですけどね」

 ふふ、と楽しそうに笑った翡翠色の目を見ながらテオドールはため息を落とす。

「リーリエ、あんまりこういうことをしていると、"生贄姫"の噂に"悪徳姫"が加算されて、余計な連中に目をつけられるぞ? 俺の悪評など今更だし、放っておいていいから」

「嫌です」

 テオドールの隣でキッパリ言い切るリーリエ。

「旦那さまが悪く言われるのは、嫌です。もちろん、旦那さまを害そうとする人を放っておくのも」

 テオドールの腕を取るリーリエの手に少しだけ力が入る。

「旦那さまが前線でどれだけ尽力していたかも知らないで、安穏と平和を享受して、死神などと好き勝手ばかり言って」

 リーリエは怒っていた。

「これから先の旦那さまの厄介事が減らせるなら、私は"悪徳姫"でも"悪役妃"でも構わない」

 強い意思を持つその声は震えていて、泣き出しそうだった。

「でも、私の大事な人が悪く言われるのは、絶対嫌。それを黙って聞き流せるほど私は寛容じゃないのです」

「はぁ、全く」

 テオドールは腕を掴むリーリエの手を離させて、代わりに指を一本ずつ絡めて手を繋ぎ直す。いわゆる恋人繋ぎ。
 綺麗にセットされているリーリエの髪が乱れないようにそっと撫でて頭を軽くポンポンと叩く。テオドールの行動に驚いていると、

「ありがとな。リーリエの気持ちは有り難い。が、できたらリーリエの身の安全を1番に考えて欲しい」

 そう隣から声が落ちてくる。

「リーリエが俺を思ってくれるように、俺もリーリエが悪く言われるのは好ましくない。リーリエが害させれるのも良しとしない」

 リーリエを見下ろす死神と呼ばれたその人の困ったような憂い顔。

「頼むから、な」

 そんなテオドールを見たリーリエは屈託なく笑って、

「旦那さま、その顔採用で! はわぁぁーっ! 色気を帯びつつ悩ましげな表情とか新天地では? 今日一眼福。推せるっ」

 ぐっと親指を立ててファンサービスありがとうございますとリーリエは"いいね"する。

「リーリエ……お前、本当に人の話を聞かないな」

 諦めにも似た呆れた声でテオドールはため息をつく。

「でも旦那さま、考えてもみてください。一国の宰相の娘で、この国の全権代理者と心理戦で渡り合うこの私が、三下の詐欺師紛いの貴族相手に負けると本気でお思いで?」

 それを言われるとテオドールは返す言葉を見つけられない。
 正直、リーリエの負け筋が見えない。
 淑女の仮面をつけて演じる彼女はいつだって、他者を圧倒し無双する。

「……リーリエがこの国にとって1番の脅威な気がしてきたな」

「ふふ、推し活害されなければ、私割と人畜無害かと思いますけど?」

「本当に人畜無害な奴は自分で言わない」

「じゃあ私が人畜無害でいられるように、旦那さまがしっかり御してくださいね」

 淑女の仮面を脱ぎ捨てたリーリエは心底楽しそうにテオドールにそう告げる。

「はぁ、もう好きにしろ」

 結局のところ惚れた方の負け、という言葉が脳裏を掠めたテオドールは繋いだ手の力を込める。
 この手を離さず、自分がしっかりリーリエを見ていればいいだけの話だ。

「ええ、仰せの通りに」

 リーリエは手に込められた力に応えるように、愛おしそうにテオドールを見つめてそう言って笑った。

「ところで旦那さま、旦那さまとの手繋ぎって何分いくらで課金が必要でしょうか?」

「うるさい。大人しく繋がれてろ」

 割と真剣なトーンで聞いたリーリエに、呆れた声で答えつつ、手を離すどころかむしろしっかりホールドし直すテオドール。
 前世でアイドルとの握手券って何秒いくらだったっけなどと考えつつ、照れたようなテオドールの横顔にときめき心音が早くなったのはリーリエだけの秘密だ。
 こんなテオドールが見られるなら悪役妃を演じるのもたまには悪くないなと、リーリエは今日も最愛の推しを愛でる幸せを噛み締めたのだった。
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