忘れえぬあなた ~逃げ出しママに恋の包囲網~
玄関扉にかけられた真っ赤なペンキはそれだけで恐怖心を植え付ける。
たとえ部屋の中には影響ないとしても、気持ちが悪くてここで住もうとは思えない。
それは沙月も同じだったらしく、部屋の真ん中に大きなスーツケースが広げられていた。

「どこかへ行くつもりだったのか?」
「ええ、今夜はホテルに泊まろうかと思って」

そうか、それならちょうどいい。

「ねえぼく、今日はお家が壊れてしまったからおじちゃんのお家に行こうか?」
「おじちゃんのうち?」
「そうだよ。おっきいおテレビも風呂もあるし、おやつもいっぱいあるから」
「うん、いくっ」

我ながら汚い手を使ったものだと思うが、頑固な沙月を説得するよりもその方が早いと、俺は子供を買収することにした。

「駄目よ、おやつは一つでしょ」
「ええー」

「大丈夫、今日は特別だ。おじちゃんがあげるからな。さあ、行こう」
沙月に止める隙を与えないように、俺はスーツケースを持って子供の手を引き玄関へと向かった。
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