絶対に結婚したくない令嬢、辺境のケダモノと呼ばれる将軍閣下の押しかけ妻になる
 部下から新妻の趣味を知らされたことに関して若干癪に障ったが、女性に対して『趣味は何ですか?』と聞けるような人生を送ってこなかったので、これはこれで助かったように思う。

「それはどんな本ですか?」

 ちょっとした興味から尋ねると、フランチェスカはパッと笑顔になって上品に微笑む。

「シドニアの風土を綴った軽い読み物と、植物図鑑です」
「図鑑?」

 腰に手を当てて本を覗き込むと、フランチェスカは図鑑を開いてこくりとうなずいた。

「馬車でシドニア領に入った時、よく見た緑の花です。真冬なのにお屋敷でも咲いているのを見ました。あれはなんだろうって気になっていたんです」
「あぁ……」
「スピカって言うんですね。花だと思っていたのはガクだったなんて、思いもしませんでした。しかもこれから数か月後には色が変わるなんて、なんて不思議なんでしょう」

 フランチェスカはページをめくり挿絵の部分を指でなぞると、それからまた熱心に文字を追い始める。

(好奇心の強い女性なんだな……)

 マティアスの人生では、見たことのない花を見たから図鑑を買って調べようなんて、人生で一度も考えたことがなかった。そして今後もないだろう。半分くらいの年齢なのに、自分は彼女の半分も好奇心を持っているだろうかと、そんなことが気になった。

(いや、これは貴族の余裕というやつだ)

 食べるために軍に入った。生きるために必死だった。それが何の因果か領主に任ぜられてしまい、自分だけならまだしも、赴任先に部下が付いてきたものだから、彼らと彼らの家族を食べさせるために必死になった八年だった。
 花の名前などいちいち調べたりするのは、道楽だ。花でメシは食えない。所詮、彼女とは住む世界が違う。
 貴族は気楽な身分なんだととひねくれた目で見つつも、本を腕に抱えてのめり込むように熱心に読んでいるフランチェスカに関しては、やはりいやな気にはならなかった。

「これを膝にかけてください」

 マティアスは着ていた上着を脱いでフランチェスカの膝にかける。彼女は一瞬驚いたように顔を上げ、それからやんわりと目を細めた。

「ありがとうございます、マティアス様」

 フランチェスカの感謝の言葉は心地よかった。
 彼女を妻として、女性として愛することはできないが、ひとりの人間として大事にしよう。
 そんな思いを胸に秘め、マティアスは無言でうなずいて机に戻ったのだった。

< 56 / 182 >

この作品をシェア

pagetop