侯爵閣下。私たちの白い結婚には妥協や歩み寄りはいっさいないのですね。それでしたら、あなた同様私も好きなようにさせていただきます
 アールの記憶は、どんどん溢れてくる。

 そのどれもが侯爵に関することで、その侯爵はいつもわたしのことを話したり悩んだりしている。

 彼はずっと年長で強面で不愛想なことを気にしていて、わたしとはまったく釣り合わず、わたしが彼のことを嫌っていると思い込んでいる。

「わが身可愛さだった。自分が傷つくのが怖くて、あんな態度をとってしまった。いくらおれのことを嫌っていても、あんな態度をとられたら彼女が傷つくのはわかっている。それでもあんな態度を……」

 侯爵はわたしに、というよりかはアールに涙をボタボタと流しつつ何度もつぶやいた。

 その強面をじっと見つめると、年齢の割にはハリがあってきれいな肌だと思った。睫毛は長いし、夏の空と同じ色の蒼い瞳は吸い込まれそうなほど美しい。眉毛の形もキリリとしているし、鼻筋も通っている。口の形もよく、唇はぷっくりしていて可愛らしい。眉間に縦皺が刻まれている以外は、強面どころか美貌といえる。

 このとき初めて、彼の顔を一度たりともじっくり見つめたことがなかったことに気がついた。

 彼が怖かったというのもある。だけど、それ以上にその気がまったくなかった。

 わたしもまた、自分が傷つくのを怖れていた。だから、彼と向き合うことを避けていた。

 彼が宣言したからとか、彼には他に好きな女性や付き合っている女性がいるからだとか、そんな言い訳を連ねるだけで、自分から真剣に向き合おうとしなかった。

 おたがいがおたがいを誤解していた。
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