恋はひと匙の魔法から
 そんな願いも虚しく、西岡は変わらず席についていた。神は無情である。
 だが、彼の隣にはCTO――最高技術責任者――の水卜がいた。
 西岡と大学時代の友人であり、共同創業者の一人でもある水卜は凄腕のエンジニアで、『ルセッタ』のWEBサイト、アプリを文字通り一から作り上げた人物だ。彼なくして『ルセッタ』の成功はなかった。
 
 彼らは西岡の席でモニターを覗き込みながら、熱心に議論を交わしていた。
 今朝、八ヶ月後にリリース予定の新機能の画面レイアウトについて、プロトタイプが出来たと開発部門から連絡がきていた。恐らくそのことについてだろう。
 それはマケソリも肝入りの、大手ネットスーパーとのタイアップ案件だ。プライベートブランドの商品を使用したレシピを公開し、さらに『ルセッタ』上でその商品を購入できるようにする、という機能である。
 彼らは戻ってきた透子に目をくれることもなく、忌憚なく意見を言い合っている。

(これはチャンスなのでは……?)

 気付かれないうちにさっさと食べてしまえばいい。
 透子は物音を立てないよう手早く鞄から弁当箱を取り出し、机に広げた。
 なるべく他人の視界に入らないよう少し身を屈め、ついでに椅子の向きもさりげなく西岡へ背を向けるような方向に変える。
 箸を手に取り、いただきますと心の中で唱えた。
 
 自分の顔ほどある大きな弁当箱には、白米とおかずが隙間なく詰まっている。
 今日のおかずは、だし巻き卵にいんげんとにんじんの肉巻き、ピーマンのきんぴら、茄子の味噌炒め、ひじきを混ぜ込んだ蓮根ハンバーグ、それに野菜の煮物だ。自分で作っておいて言うのも何だが、彩り鮮やかでとても美味しそうである。
 いつもなら、今日も上手にできたと自画自賛しながらゆっくり食べるところだが、そうもいかない。
 手早く食べてしまおうと、味噌が絡まりつやつやと照りを出した茄子の味噌炒めに箸を伸ばそうとした、その時。

「あれ?透子ちゃんって弁当なんだね。しかも、めっちゃ美味そう」

 不意に声をかけられ、透子は大袈裟に肩をびくつかせた。
 恐る恐る振り返ると、つい先程まで西岡のモニターを見ていたはずの水卜がいつの間にか背後に立っていた。透子の弁当をじっと食い入るように見つめている。

「あっ……えっと、はい。お疲れ様です、水卜さん」

 自分と同じ響きの苗字の彼に、透子は引き攣った笑みを向ける。
 漢字は違うものの紛らわしいので、いつからか透子は社内の人間には専ら名前で呼ばれるようになっていた。
 
 水卜がしげしげと興味深そうに透子の、女性にしては大きすぎる弁当箱を注視する。なぜか西岡も立ち上がり、水卜の肩越しから透子の弁当を眺め始める始末。
 透子の背中に冷や汗が伝う。
 
 ああ、終わった、と思った。
 目の前が真っ暗になるって、こんな気分なんだろうか。
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