恋はひと匙の魔法から
「アプローチかぁ……」

 夕貴が泊まりにきた翌日。ラウンジからオフィスへ戻るエレベーターの中で、昨日夕貴が半ば強引に取り付けた約束を思い出していた。
 いつまで経っても恋愛に及び腰な透子に発破をかけてくれたのは分かる。
 分かるのだが、いかんせん透子には恋愛経験の少なすぎた。アプローチの仕方なんてさっぱりである。
 さり気なく家に誘う、なんてそんな高度な芸当が自分にできるとは到底思えなかった。
 
 だからといって、このまま何もせず西岡に新たな恋人ができるのを指を咥えて見ていたいかというと、それは――

 透子は鞄を持つ手にギュッと力を込めた。
 自分には分不相応の高嶺の花だからと諦めて、過去の恋愛の失敗を引き摺り続けて。
 そうして逃げた先に残るのはきっと、後悔だけだ。

(それは、嫌……)

 それならば、透子の取るべき行動は自ずと決まってくる。
 ポン、と十四階に到着したことを知らせるチャイムが響いた。ハッとした透子は、慌ただしくエレベーターを降りた。
 オフィス内を歩きながら考えるのは今後の戦略。

(家に誘うのは、ハードル高すぎるとして……最初はサシ飲み……?でも、サシ飲みってどうやって誘うの……?)

 早くも壁にぶち当たる。
 自らの経験値の無さを改めて実感して透子はガックリと肩を落としたのだった。

 オフィスを横切り自分の席へと戻る際には必ず西岡の隣を横切ることになる。彼は今、デスクの横に立つ女性――経営企画室室長の多原へ鋭い視線を向けていた。

「この最後の案の数字のエビデンスって何?」
「……過去の案件を参考に、想定できる数をかけまして……」

 多原が目を泳がせながら自信なさげに答えている。
 明日設定されている新規事業に関する戦略会議の資料に目を通した西岡が、粗の目立つ部分を多原へ事前に確認しているといったところだろう。
 その横でメールチェックを再開していた透子だったが、なんとなくこの後の流れが読めて西岡と多原のスケジュールを開いた。
 西岡の予定はほとんど隙間なく埋まっている。だが、この雰囲気から察するに恐らく明日の経営企画室とのミーティングは変更になるだろう。
 動かすならこれかな……と透子は頭の中でスケジュールを組み替え始める。

「見通し、大分甘くない?こんなに数字いかないと思うよ。それにもうちょっと詳細も詰めてほしい。明らかに一つ目の案より中身スカスカだから。時間なかったか、元から通す気なかったかで言ったらどっち?」
「…………前者です。すみません」
「分かった。じゃあミーティングズラすからそれまでに修正しておいてほしい。多原ならもっといい案練れると思うから。――透子、明日の経企のミーティング、リスケで」
「はい、分かりました」
 
 やっぱり、と内心で思いつつも表には出さず微笑み返し、透子は頭の中で組み立てていた新しいスケジュール通りにカレンダーを更新した。
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