恋はひと匙の魔法から
 水卜に連れて来られたのは、駅から歩いてすぐの雑居ビル内に店を構える大衆居酒屋。花の金曜日は明日だというのに、店内はスーツ姿のサラリーマン達で賑わいを見せており満席に近い状態だ。空いていたテーブル席に通され、パイプ製の丸椅子に腰掛ける。

「ここ、焼き鳥が美味いんだよ」

 ラミネートされたメニュー表を透子へ手渡しながら、水卜はカウンター席の前に設置されている焼き台に目をやった。焼き台の前に立った板前が忙しなく手元を動かしている。
 
「よく来るんですか?」
「西岡と飲む時は大体ここだからさ。あいつに起業しようって誘われたのもここだし」
「……そうなんですね」

 水卜の口から飛び出した名前を聞いて、透子は一瞬だけ言葉に詰まった。弧を描く唇が引き攣っていないか、少し心配になる。
 続く言葉をうまく見つけられず、透子は視線を落としメニューを見る振りをした。

「一緒に会社やろうって最初に誘われた時は、正直あんまり乗り気じゃなかったんだよね。けど、まあ結局口説き落とされたというか。あいつ、仏頂面の癖して口上手いんだよなぁ」
「あはは……」

 仏頂面とは思わないが、確かに彼は寡黙そうに見えてそうではない。多弁とまではいかないにしろ、想いを率直に言葉にできる人だ。そういうところも彼の魅力の一つで、透子が惹かれた点でもある。
 また胸がきゅうっと締め付けられ、透子は唇を引き結んだ。

「透子ちゃんもそれにやられた口?」
「……なっ、なにがですか?」
「付き合ってるんじゃないの?」
「えっ?!」
「あ、すみませーん」

 突然差し向けられた問いに狼狽している内に、水卜が店員を呼びつけてオーダーをし始める。
 「透子ちゃんは?」と爆弾を投下した張本人が何食わぬ顔で尋ねてきて、透子は動揺しきったまま生ビールだけを注文した。とてもじゃないが、それどころではない。
< 88 / 131 >

この作品をシェア

pagetop