スイート×トキシック

 足の裏にフローリングの質感が伝わってくる。
 触れ合った手が温もりを増していく。

 心臓の音が聞こえる。
 息遣いさえ聞き取れる。

 街ですれ違った誰かの柔軟剤みたいな、妙に気の抜けない香りが鼻先をくすぐっていた。

 わたし、知らない家にいる。
 そんな事実を改めて実感させられる。

「はい、着いた。よいしょ」

 わたしの手を離した朝倉くんに、そのまま背中を押された。
 かちゃん、と背後でドアの閉まる音がする。

「目隠し取って、鍵閉めていいよ。終わったら声かけてね。今度はまた目隠しして、鍵開けてから」

 淡々とそう言われ、恐る恐るゴム紐に指を引っかけた。

 目隠しを外すと、確かにお手洗いの中だった。
 素早く振り返って鍵をかけておく。

 壁面を見やったが、窓はなかった。
 額や花などの装飾もない。
 (ほこり)や汚れも見当たらない。

 率直に言うと、生活感がなかった。

 わたしが閉じ込められていた部屋が殺風景だったのは、監禁目的の空間だからだと思っていた。

 けれど、もしかしたらこの家全体がそうなのかもしれない。

 そんなことを考えながら、ふと足元を見下ろす。

 結局手錠の方は外して貰えなかったが、足の拘束からは抜け出せた。

 今のうちに、それを利用して逃げ出せないかな?

「芽依ちゃん」

 唐突に呼ばれ、ぎくりと肩が跳ねる。
 ドア越しとはいえ、何だか気圧されてしまう。

「馬鹿なこと考えちゃ駄目だよ?」

「わ、分かってるよ」

 何とか返したけれど、声が震えていたかもしれない。
 彼の前では、わたしの思考は透けているようだ。

 安易に想像がつく。

 朝倉くんは油断なくはさみを構えたまま、ドアの前で待っているんだ。

 “隙”なんてない。
 ────今はまだ。



*



 硬い床の上で、ごろんと寝返りを打つ。

 何度目か分からない、消え入るようなため息がこぼれた。

 少し手を動かせば、かちゃかちゃと金属音が鳴る。

 部屋へ戻るなり足首にも再び結束バンドを巻かれてしまったため、自由はほとんどなかった。

(今、何時だろう?)

 電気はついているものの、深夜であろうことは想像がつく。

 時間が分からないだけでこんなにも不安になるなんて、思ってもみなかった。

 人知れず攫われて、知らないところに閉じ込められて、世間から置き去りにされているような気がしてくるのだ。

 わたし一人消えたところで、何にも影響なんてない。
 世界は変わらず(まわ)っていく。

 そんな当たり前の事実が、わたしを深くひどく追い詰めてくる。
 “孤独”という奈落(ならく)へ突き落とされるみたいに。

 いつもなら今頃、ふかふかのベッドの上で眠りについているのだろう。
 明日のことや先生のことを考えながら……。

 じわ、と涙が滲んだ。

 日常を思い返してその差を目の当たりにすると、余計に心が追い込まれていく。

 ────結局、一睡も出来ないまま夜明けを迎えた。
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