ブラックコーヒーに角砂糖一つ
翌月曜日。 仕事が終わってからあの店に行ってみた。
以前、京子が飲んでいるって教えてくれたあの店だ。
【シークレットバタフライ】と書かれたネオンが静かに輝いているこの店、、、。 (待てよ、スイートじゃなかったのか?)
「お帰りなさいませ。」 ママがそう言って迎えてくれる店。
今夜も常連らしい男たちが数人固まって飲んでいるだけである。 俺は一番奥のボックスに入った。
「水割りでよろしいですか?」 優しい眼差しでホステスがお絞りを持ってきた。 「いいよ。」
お絞りで手を拭きながらカウンターを覗いてみる。 奥にボトルが並んだ棚が置いてあるだけのシンプルなカウンターだ。
下のほうのボトルはキープなのだろう。 名前が書いてある。
「お待ち同さまです。 ごゆっくりしていかれてくださいね。」 ホステスが水割りを持ってきた。
飲んでみると今夜は濃いめに作ってあるらしい。 「こんなに濃いのはちょっとなあ、、、。」
いつものシングルではなくてどうもホステスが量を間違えたらしい。 ダブルでもなさそうだし、、、。
苦笑いしながら少しずつ舐めるように飲んでいるとママがやってきた。 「ご機嫌如何ですか?」
「今夜の水割りは濃いね。 どうしたの?」 「あらあら、それはすいません。 作り直しましょうか?」
「いいよ。 せっかくだから舐めながら飲んでる。 水割りを舐めるって言うのはこういうことなのかなあ?」 「まあまあ、お気遣いありがとうございます。」
「ママ、あの人はどうしたの?」 一人の男が怪訝そうに聞いてきた。
「あの人って?」 「ジョーシーだよ。 ジョーシー。」
「ああ、その人なら今日はお休みよ。」 「そっか。 休み化。 会いたかったなあ。」
「そんなに気に行ってらっしゃるんですか?」 「あのブローチをしてただろう? 俺が誕生日のお祝いにあげたやつなんだよ。」
「あらあら、そこまでお気に入りだったんですね? じゃあ次に来られる日には出勤するように言っておきますわ。」 「頼んだよ。」
俺は水割りを舐めながら二人の話を聞いていたが、客から目を逸らした時にママが渋い顔をしたのを見逃さなかった。
(何か有るぞ。) そうは思ったが俺は探偵でもなければ警察でもない。
ましてやママの身内でも知り合いでもない。 (ここはそっとしておこうか。)
一週間ほどして新聞を会社で拾い読みしていた俺は一つの小さな記事に目が留まった。
〈キャサリン ジョーシー 27歳が行方不明。〉というのである。 (ジョーシー?)
「何か有ったんですか?」 書類をまとめていた京子が新聞を覗いている。
「あの店のホステスが行方不明になったんだよ。」 「あの店?」
「君も飲んでるあの店だよ。」 「ああ、あそこなら不法滞在者を雇ってるって噂は前から聞いてますから驚きませんよ。」
「そうなのか、、、。」 「あのブローチはねえ、俺が誕生日にあげたんだよ。」
あの男が話していたブローチとは、、、? 確かにあの女は若く見えたな。
「ええ。 外人ですよ。 最近はこの辺りも外人が増えてねえ。」 そんな町には見えないのだが、闇キャバも在るらしい。
ほとんど俺たちが近付かないような場所に闇クラブも在るって聞いたことが有る。 しかも外人専用らしい。
隣町では中毒の外国人が騒ぎを起こしてもめてるって言ってたっけな。
「あの店には行くの?」 「雰囲気は悪い店じゃないから。」
「だよな。 ママさんもそう悪い人には見えないし。」 俺は机の上に置いてある書類をまとめながら外を見た。
裏には駐車場が有って、トラックやワゴンなども止まっている。 数人の社員がアタフタと出てきてワゴンで出発するところらしい。
窓際に立ち竦んでいると京子が寄り添うように並んで立った。
「京子にもこれまで世話になったね。」 「何を言うんですか? 私はただ与えられた仕事をこなしてきただけですよ。」
それにしても今日は京子の温もりを間近で感じている。 心臓が高鳴ってくるのを俺は感じた。
「社長、これからも私を捕まえていてくださいね。」 「捕まえる?」
「そうなんです。 私の心の中には社長しか居ないんですよ。」 「そうだったのか。」
俺は夕日を遮るようにカーテンを敷いた。 そして京子を抱き締めたのである。
その夜も京子と二人であの店に行ってみた。 「お帰りなさいませ。」
ママが愛想笑いをして俺たちを迎えてくれた。 「水割りでよろしいですね?」
「いいよ。」 俺はさっきの京子の寂しそうな顔を思い出していた。
京子はというと、スーツを脱いで寛いだ気分で手を拭いている。 そこへフィリピン人らしいホステスが通りかかった。
何気なく表情を窺っているのだが、何かに怯えたような、それでいて何かを待っているような複雑な表情をしている。
水割りを飲みながらそれとなく店内を見回していると常連のあの男が入ってきた。 「こんばんは。」
「あらあら、お帰りなさいませ。」 「今日も疲れちゃったよ。 ママに癒してもらおうかな。」
「それはどうも御贔屓に。」 ママの薄笑いがどうも気になる。
京子は水割りを飲みながらスマホを弄り始めた。 「何してるの?」
「しーーーーーーー。」 怪訝そうな俺を見て口に指を当てている。
しばらくすると何かを見付けたようで二度三度と頷いてからスマホを閉じた。
店内は相変わらず静かであの男がママと話している声がよく聞こえる。
「ママさあ、もうすぐ誕生日だよね?」 「そうなのよ。 また年を取っちゃうわ。」
「今度のプレゼントは何がいい?」 「そうねえ、、、。 こないだは車だったから今度はドレッサーでも強請ろうかしら。」
「ドレッサー化、、、。 ママの趣味が分からないから選ぶのは大変だなあ。」 「まあまあ、、、。 よくご存知のくせに。」
「あのママは金が掛かりそうだな。」 「言わないの。 睨まれるわよ。」
「ごめんごめん。」 京子は慌てて俺の口を塞ぐ。
そこへもう一人の男が入ってきた。 「あら、いらっしゃい。」
「今夜もまあまあの入りだな。」 「そんなこと無いわよ。 これでもずいぶんと減ったんだから。」
「まあ、そう言うなって。 そのうちに俺がドカーンと儲けさせてやるから。」 「そうだといいけどなあ。」
男はキープしたボトルを指差して「ダブルね。」とホステスに言った。
「あの男、強いんだなあ。」 「だから、、、言わないの。」
またまた京子が口を押える。 仕方なく俺はグラスを持った。
ボックスからは見えないのだがカウンターの奥にホステスの部屋が在るらしい。 扉が開いた。
「おー、ジョーシーじゃないか。 久しぶりだな。」 「すいません。 この間は休んでしまって。」
「いいんだよ。 体調でも悪かったのか?」 「ちょっと手の込んだ用事が有ったもので。」
「そうかそうか。 まあ飲もうよ。」 男は急に明るくなってホステスにグラスを勧めてきた。
「戴きます。」 「今夜も飲もうぜ。 パーッとな。」
ジョーシーと呼ばれたホステスが男の隣に座るとママが奥へ引っ込んで行った。 俺はその様子を見ながら何か違和感を感じたのだが、、、。
2時間ほど過ごした後、焼き鳥を食べに行くことにして俺たちは店を出た。
「あのホステスは別人ね。」 「知ってるのか?」
「あの店 フィリピン系とベトナム系の女の子をよく雇うのよ。 でもあのホステスは中国系だわ。」
「それにしては男がジョーシーって呼んでたじゃないか。」 「あのブローチよ。 酔ってるとあのブローチしか見ないから分からないのよ。」
確かにそうかもしれない。 俺だって酔った時には顔なんて見ないから。
深夜の大通りを歩いていく。 数年前まではまだまだ賑やかだったのに、、、。
閉店してしまったパチンコ屋が恨めしそうに残っている。 駐車場もかなり広いまま、、、。
「ここも荒稼ぎしてたんだよな。」 「こういうタイプの商売は何処でもそうでしょう?」
「まあなあ、、、。 飲み屋とパチンコはいくらでもごまかせるからねえ。」 通りを空っぽのタクシーが走り抜けていった。
目指す焼き鳥屋はもう少し先のほうに在る。 そこで飲みながら京子が見ていたスマホの話をしようか。
以前、京子が飲んでいるって教えてくれたあの店だ。
【シークレットバタフライ】と書かれたネオンが静かに輝いているこの店、、、。 (待てよ、スイートじゃなかったのか?)
「お帰りなさいませ。」 ママがそう言って迎えてくれる店。
今夜も常連らしい男たちが数人固まって飲んでいるだけである。 俺は一番奥のボックスに入った。
「水割りでよろしいですか?」 優しい眼差しでホステスがお絞りを持ってきた。 「いいよ。」
お絞りで手を拭きながらカウンターを覗いてみる。 奥にボトルが並んだ棚が置いてあるだけのシンプルなカウンターだ。
下のほうのボトルはキープなのだろう。 名前が書いてある。
「お待ち同さまです。 ごゆっくりしていかれてくださいね。」 ホステスが水割りを持ってきた。
飲んでみると今夜は濃いめに作ってあるらしい。 「こんなに濃いのはちょっとなあ、、、。」
いつものシングルではなくてどうもホステスが量を間違えたらしい。 ダブルでもなさそうだし、、、。
苦笑いしながら少しずつ舐めるように飲んでいるとママがやってきた。 「ご機嫌如何ですか?」
「今夜の水割りは濃いね。 どうしたの?」 「あらあら、それはすいません。 作り直しましょうか?」
「いいよ。 せっかくだから舐めながら飲んでる。 水割りを舐めるって言うのはこういうことなのかなあ?」 「まあまあ、お気遣いありがとうございます。」
「ママ、あの人はどうしたの?」 一人の男が怪訝そうに聞いてきた。
「あの人って?」 「ジョーシーだよ。 ジョーシー。」
「ああ、その人なら今日はお休みよ。」 「そっか。 休み化。 会いたかったなあ。」
「そんなに気に行ってらっしゃるんですか?」 「あのブローチをしてただろう? 俺が誕生日のお祝いにあげたやつなんだよ。」
「あらあら、そこまでお気に入りだったんですね? じゃあ次に来られる日には出勤するように言っておきますわ。」 「頼んだよ。」
俺は水割りを舐めながら二人の話を聞いていたが、客から目を逸らした時にママが渋い顔をしたのを見逃さなかった。
(何か有るぞ。) そうは思ったが俺は探偵でもなければ警察でもない。
ましてやママの身内でも知り合いでもない。 (ここはそっとしておこうか。)
一週間ほどして新聞を会社で拾い読みしていた俺は一つの小さな記事に目が留まった。
〈キャサリン ジョーシー 27歳が行方不明。〉というのである。 (ジョーシー?)
「何か有ったんですか?」 書類をまとめていた京子が新聞を覗いている。
「あの店のホステスが行方不明になったんだよ。」 「あの店?」
「君も飲んでるあの店だよ。」 「ああ、あそこなら不法滞在者を雇ってるって噂は前から聞いてますから驚きませんよ。」
「そうなのか、、、。」 「あのブローチはねえ、俺が誕生日にあげたんだよ。」
あの男が話していたブローチとは、、、? 確かにあの女は若く見えたな。
「ええ。 外人ですよ。 最近はこの辺りも外人が増えてねえ。」 そんな町には見えないのだが、闇キャバも在るらしい。
ほとんど俺たちが近付かないような場所に闇クラブも在るって聞いたことが有る。 しかも外人専用らしい。
隣町では中毒の外国人が騒ぎを起こしてもめてるって言ってたっけな。
「あの店には行くの?」 「雰囲気は悪い店じゃないから。」
「だよな。 ママさんもそう悪い人には見えないし。」 俺は机の上に置いてある書類をまとめながら外を見た。
裏には駐車場が有って、トラックやワゴンなども止まっている。 数人の社員がアタフタと出てきてワゴンで出発するところらしい。
窓際に立ち竦んでいると京子が寄り添うように並んで立った。
「京子にもこれまで世話になったね。」 「何を言うんですか? 私はただ与えられた仕事をこなしてきただけですよ。」
それにしても今日は京子の温もりを間近で感じている。 心臓が高鳴ってくるのを俺は感じた。
「社長、これからも私を捕まえていてくださいね。」 「捕まえる?」
「そうなんです。 私の心の中には社長しか居ないんですよ。」 「そうだったのか。」
俺は夕日を遮るようにカーテンを敷いた。 そして京子を抱き締めたのである。
その夜も京子と二人であの店に行ってみた。 「お帰りなさいませ。」
ママが愛想笑いをして俺たちを迎えてくれた。 「水割りでよろしいですね?」
「いいよ。」 俺はさっきの京子の寂しそうな顔を思い出していた。
京子はというと、スーツを脱いで寛いだ気分で手を拭いている。 そこへフィリピン人らしいホステスが通りかかった。
何気なく表情を窺っているのだが、何かに怯えたような、それでいて何かを待っているような複雑な表情をしている。
水割りを飲みながらそれとなく店内を見回していると常連のあの男が入ってきた。 「こんばんは。」
「あらあら、お帰りなさいませ。」 「今日も疲れちゃったよ。 ママに癒してもらおうかな。」
「それはどうも御贔屓に。」 ママの薄笑いがどうも気になる。
京子は水割りを飲みながらスマホを弄り始めた。 「何してるの?」
「しーーーーーーー。」 怪訝そうな俺を見て口に指を当てている。
しばらくすると何かを見付けたようで二度三度と頷いてからスマホを閉じた。
店内は相変わらず静かであの男がママと話している声がよく聞こえる。
「ママさあ、もうすぐ誕生日だよね?」 「そうなのよ。 また年を取っちゃうわ。」
「今度のプレゼントは何がいい?」 「そうねえ、、、。 こないだは車だったから今度はドレッサーでも強請ろうかしら。」
「ドレッサー化、、、。 ママの趣味が分からないから選ぶのは大変だなあ。」 「まあまあ、、、。 よくご存知のくせに。」
「あのママは金が掛かりそうだな。」 「言わないの。 睨まれるわよ。」
「ごめんごめん。」 京子は慌てて俺の口を塞ぐ。
そこへもう一人の男が入ってきた。 「あら、いらっしゃい。」
「今夜もまあまあの入りだな。」 「そんなこと無いわよ。 これでもずいぶんと減ったんだから。」
「まあ、そう言うなって。 そのうちに俺がドカーンと儲けさせてやるから。」 「そうだといいけどなあ。」
男はキープしたボトルを指差して「ダブルね。」とホステスに言った。
「あの男、強いんだなあ。」 「だから、、、言わないの。」
またまた京子が口を押える。 仕方なく俺はグラスを持った。
ボックスからは見えないのだがカウンターの奥にホステスの部屋が在るらしい。 扉が開いた。
「おー、ジョーシーじゃないか。 久しぶりだな。」 「すいません。 この間は休んでしまって。」
「いいんだよ。 体調でも悪かったのか?」 「ちょっと手の込んだ用事が有ったもので。」
「そうかそうか。 まあ飲もうよ。」 男は急に明るくなってホステスにグラスを勧めてきた。
「戴きます。」 「今夜も飲もうぜ。 パーッとな。」
ジョーシーと呼ばれたホステスが男の隣に座るとママが奥へ引っ込んで行った。 俺はその様子を見ながら何か違和感を感じたのだが、、、。
2時間ほど過ごした後、焼き鳥を食べに行くことにして俺たちは店を出た。
「あのホステスは別人ね。」 「知ってるのか?」
「あの店 フィリピン系とベトナム系の女の子をよく雇うのよ。 でもあのホステスは中国系だわ。」
「それにしては男がジョーシーって呼んでたじゃないか。」 「あのブローチよ。 酔ってるとあのブローチしか見ないから分からないのよ。」
確かにそうかもしれない。 俺だって酔った時には顔なんて見ないから。
深夜の大通りを歩いていく。 数年前まではまだまだ賑やかだったのに、、、。
閉店してしまったパチンコ屋が恨めしそうに残っている。 駐車場もかなり広いまま、、、。
「ここも荒稼ぎしてたんだよな。」 「こういうタイプの商売は何処でもそうでしょう?」
「まあなあ、、、。 飲み屋とパチンコはいくらでもごまかせるからねえ。」 通りを空っぽのタクシーが走り抜けていった。
目指す焼き鳥屋はもう少し先のほうに在る。 そこで飲みながら京子が見ていたスマホの話をしようか。