ブラックコーヒーに角砂糖一つ
 静かな通りで話しながら目指す焼き鳥屋 次郎衛門にまでやってきた。 「やってるなあ。」
ここの親父さんは兎にも角にも味にうるさい人でね、お任せじゃないと機嫌が悪いんだ。
いつだったか、「醤油で焼いてくれ。」って言い張る客を無理やり追い出して「てめえみたいな味の分からんやつが来る店じゃないんだ。 二度と来るな!」って叱り付けたっていうくらいだからねえ。
 古臭い暖簾をくぐってみる。 「やあ、いらっしゃい。」
奥で美味そうな焼き鳥を焼いている親父が顔を上げた。 「おやおや、今夜は彼女も一緒か。」
「彼女」と言われて俺たちは珍しく顔を見合わせてしまった。
 「今夜は何から焼こうか?」 「親父さんに任せるよ。」
「じゃあ口直しに皮はどうだ?」 「いいねえ。 頼むよ。」
カウンターだけの店である。 満員になると戸を閉めるって聞いたことが有るんだ。
「だってさあ、座れないのに落ち着いて食えないだろうが。」 「それもそうだけどさ、、、。」
「昔はね、ボックスみたいなのも一応は作ってみたんだ。 でも焼き鳥屋はカウンターが一番だね。」
親父さんは備長炭しか使わない。 しっかり焼けないと味が出ないからって。
だからさ、昔よりは高くなったけど、馴染みの店から備長炭だけを取り寄せるんだそうだ。

 ラジオからニュースが聞こえてきた。 「先週、河川敷で発見された外国人女性の遺体は、、、。」
歯形などを照合した結果、キャサリン ジョーシーだと断定されたというのである。
 「この事件は長引くよ。」 親父さんも迷惑そうな顔で言う。
「そう思います?」 「だって、これをやってるのは桜田組だからね。」
 桜田組というのはこの辺の薬屋不法滞在者を取りまとめている組である。 組自体はそう大きくないのだが、影響力がバカでかくてね。
 組長の桜田義男は薬の元締め。 この辺で売られている薬の8割は桜田組だ。
 あの「ドカーンと儲けさせてやる。」って言っていたあの男は組長の弟だ。
そしてママの水島八千代もまた売人として有名な女である。 金が払えなくなっても物だけは渡すんだそうだ。
「それじゃあやられちまうじゃないか。」 「そこが狙いなのよ。 完全に行き詰らせてから売り飛ばすの。」
「売り飛ばす?」 「そうねえ。 金目の物はもちろん、命も全部売り飛ばすのよ。」
「それじゃあ、、、。」 「だから奥さんも娘もみんな売り飛ばされて湖に沈められた人だって居るのよ。」
闇は何処まで行っても闇なのである。 それをなぜ京子が知っているのか?
鳥皮を食べながら水割りを喉に流し込む。 (物騒な世の中だな。)
 次郎衛門は先代の親父さんが40年前に始めた焼鳥屋である。
当時はリヤカーに道具を乗っけて売り歩いていたという。
味好みの頑固さが広まってそれこそ頑固な客が親父さんを追い掛けるようになった。
それじゃあ、、、っていうんでドンと構えたのがこの店だ。 そりゃね、売れなかった時期も有るよ。
隣のうどん屋が火を出して丸焼けになったことだって有るんだからね。
それでもさ、客が居るからって行商をしながら店を建て直したんだ。 すげえなって思ったよ。
 奥さんは居ないんだね。 結婚はせずに彼女と暮らしている。
 「最近は世知辛いニュースが多いなあ。 なんかこう明るくなるようなニュースは無いのかね?」 「有ったら沈んでないでしょう。」
「それもそうだな。 ガハハハ。」 親父さんは笑いながら水を飲んだ。
 何時なのだろう? バタフライを出たのは午前0時くらいだから、3時過ぎなのかな? お互いに明日の仕事を気にしながら飲んでいる。
「気にするくらいなら飲むなよ。 飲むときには仕事のことなんて忘れてくれ。 俺まで気を遣うだろうがよ。」
親父さんはそう言いながら次のネタを焼き台に置いた。

 結局、5時まで店に居て夜明けと共に家に帰ってきた。 玄関もカギは掛かっていなかった。
「何だ、不用心だなあ。」 「あなたがいつでも帰ってこれるように開けておいたんですけどねえ?」
妻は頬を膨らませて俺を見る。 ドアが開く音で目が覚めたらしい。
「今日はお休みになるんでしょうからゆっくりしててくださいな。」 そう言うとまたまた布団に潜り込んで寝てしまった。

 あの店はというとドアに張り紙をして休んでしまったらしい。 ホステスの都合が付かないとか、、、。
その裏で警察は陰に陽に八千代をマークして追い掛け続けていた。 ジョーシー事件も重なって捜査も熱が入っているらしい。
「いつもなら腰折れするんだけどなあ。」 「だってさ、切れ者の刑事が来たんでしょう? やってくれるわよ。」
「でも相手は桜田組だぞ。 政治家も黙っちゃいないはずだ。」 「待てよ。 そろそろ選挙だぜ。 そんなことしたら落ちちまうよ。」
「だよな、、、政治家って結局は自分のことしか考えないからな。」
 新聞も俄かにうるさくなってきた。 ジョーシーがフィリピン系の不法滞在者だったからだ。
 なんでも観光ビザの期限が切れていて入管も動こうとしていた頃に殺されたらしいことが分かってきた。
ついでに言えば致死量を越える睡眠薬と覚醒剤が検出されたらしい。 でもマスコミが注目したのは花のブローチだった。
 そのブローチがメードインベトナムだったから大騒ぎになったのだ。
 ここ数年でベトナムを訪れた日本人、、、。 調べは付いたがパスポートは偽造された物だった。
 まあ、ここから先は警察の仕事だから勝手に踏み込むのはやめておくが、偽造パスポートの噂も桜田組ならいつものことだ。
酔った頭でゴロゴロしていると昼になった。 とはいってもお腹も空いていないからお茶を一杯飲んだだけである。
 「またまたあの人と飲みに行ったんでしょう?」 「ああ。」
「あの人もお酒は強いからねえ。 無理しないでくださいよ。」
「無理はしてないよ。」 「その顔でですか?」
「何だよ?」 「目が悲鳴を上げてますけど、、、。」
 妻はそう言うと妹に任せてあるブティックへ出掛けて行った。
数年前までは自分で経営していたのだが、旦那が死んで一人になった妹に経営を任せてしまったのである。
 俺のほうは相変わらず資金繰りの厳しい会社のことで頭がいっぱいだ。
その中で京子とこうして飲みに歩くことも増えてきた。 ずっと独身を貫いてきた京子もどこかに中年の寂しさを感じているらしい。
 あの焼鳥屋を出てからしばらく、俺にくっ付いたままであれこれと話し合ったものだ。
 「奥さんとはうまくいってるの?」 「なんとかね。」
「なんとかね、、、か。 あんまりうまくいってないようね?」 「そんなことも無いよ。」
「そうだったら、こうして飲みに歩くことなんて無いじゃない。」 「昔からいろい悪露と飲み歩いてたよ。」
「それは仕事柄でしょ? プライベートで独身女と出歩くなんて、、、。」 そう言いながら彼女は腕を巻き付けてくるのだった。
「誰も見ていないから今だけ、、、。」 体がくっ付いて温もりが妙に伝わってくる。
最近では妻を抱くことも無くなってしまったからそれが異様に心に沁みてくるんだ。
 京子はまだ誰にも抱かれたことの無い女だった。 誰彼必ず居そうに思えるのに意外なことだ。
部屋に呼んだことも無いって言うからますます意外な気になってくる。
 「今日は休むんでしょう? 私も部屋に居るから昼間 会いに来て。」 別れ際、京子はそう言うと寂しい顔をした。
< 6 / 14 >

この作品をシェア

pagetop