ブラックコーヒーに角砂糖一つ
 マーガレットのママ 遠藤良子は以前はキャバレーに勤めていた。 その頃に桜田組3代目の組長と知り合い、愛し愛される仲になったという。
そしていつの間にか3人の息子を育てるママになってしまった。 ところがその頃は何処で働いているのか誰も知らないのだ。
 そのうちに桜田組は大きくなった。 まあ、その裏で事件を起こす連中も出てきたんだが、、、。
 それでもこのママはひっそりと組長を支えていたのだろう。 このマンションが建つ前から店は営業していた。
立ち退きとかいろんな話も出たはずなのに、何の影響も受けなかったかのように営業を続けている。 隣のラーメン屋は金を貰って移転しているのに。
 そのラーメン屋は皮肉にも俺の会社の隣に引っ越してきた。 このマンションの隣では商売にならなかったらしい。
そこでだ。 俺は時々そのラーメン屋に通った。 スープにこだわってる親父さんでね、営業が終わると翌日の仕込みを深夜までするんだそうだ。
気に入ったスープが出来上がるまで何時間も鍋と睨めっこをしている。 そんな話をしてたっけ。
 京子は椅子に座ってぼんやりしている。 パソコンからは京子が選んだジャズが聞こえている。
それにしても静かな夜だ。

 「このマンションの工事が始まる頃、ラーメン屋さんが在ったの覚えてる?」 「確か、、、太郎だったっけ?」
「そうそう。 あのラーメン屋さんって妙だと思わなかった?」 「何で?」
「だって500万くらいの金で移転したのよ。」 「500万? それくらいで移転できるのか?」
「私も不思議に思ったわ。 お店だもん。 そんな半端な金じゃあやっていけないわよ。」 「そうだよな。」
 「それからしばらくして店長が自殺したでしょう。」 「ああ。」
「何年か経って知り合いの病院長に聞いたの。 あれは薬だって。」 「薬?」
「店長さんが薬をやってたのよ。」 「何でそこまで分かったんだ?」
「その病院長さんも薬をやってたからよ。」 「なんとまあ、、、。」
 されど、どうして京子がそんなことまで知っているのか、、、? 俺の疑問は深まるばかりである。
 腑に落ちない謎を抱えたまま、俺たちは朝を迎えた。
「朝のうちに帰ったほうがいいんじゃないかなあ?」 「俺もそう思う。」
「では、明日また会社で会いましょう。」 ニコッと笑う京子だが、どこか寂しそうである。

 家に帰ってくると妻はまだ帰っていないようで、俺はホッとして部屋に籠った。
「あいつも何だか寂しそうだったな。 男を捕まえればいいのに、、、。」 妻以外の女を抱いた罪悪感も有るには有るのだが、それより何より京子の寂しそうな顔を忘れられないでいる。
 今の会社で京子を秘書に迎えて20年。 思えばよくやってくれたもんだ。
倒れそうな会社をいつも支えてくれてたんだからね。 俺が保険で何とかしようとしても「自殺じゃ何にもなりません。 一緒に戦いましょうよ。」っていっつも言ってたっけ。
縄文人気が消え去った時には「それだけしかなかったんですねえ。」なんて寂しそうに言ってたっけな。
 娘が死んだ時には通夜の後も娘の傍に居た。 可愛がってたからさ。
だから新聞社が「会社のせいで娘が死んだんだ。」って書いた時には新聞社に乗り込んで抗議してくれた。
 そんな京子もプライベートではずっと一人だったんだなあ。 俺は気付かなかった。
そう、バタフライで一緒に飲むまでは、、、。
 一応、会社の書類は俺の部屋にも置いてある。 いつ誰が来ても説明できるようにね。
そりゃ、芳しいもんじゃないよ。 このところの赤字は膨らみ続けてるんだし、逆転するようなアイデアも無い。
四方八方が塞がれてるんだ。 逃げ場所も無いよ。
そんな話をしていたら京子がポツリと言った。 「上に逃げればいいのよ。」って。
 「上?」 「そうよ。 周りはダメでも上と下はいつでも空いてるわ。」
(それもそうだ。) 俺は苦笑した。
 でも上って何だろう? 考えてみても分からない。
見方によっては単なる悪足掻きにしか見えないのだが、、、。 でもやらないよりましか。

 昼を過ぎて妻が帰ってきた。 「あらあら、帰ってたのね?」
「ああ。」 「何処か遊びに行かなかったの?」
「行くような場所も無いよ。」 「そうよねえ。 あなたは根っからの仕事人間だもんねえ。」
 妻はニヤニヤしながら自分の部屋へ入っていった。
(仕事人間か。 働いてないと飯も食えないぞ。) 俺はまたノートを広げた。
 倒産した会社、売り払われた会社、大会社に吸収された会社、、、。
それらのえげつない記録が残されている。 「過去ばかり追い掛けてもしょうがないな。」
 居間に入ると留守電のチェックをする。 さすがの借金取りもこの頃は手を控えているのか?
あれほど喧しく掛かってきた借金取りの電話もこの頃は少なくなっている。 まあ借金で苦しんでいるのはうちだけじゃないんだからね。
 なんとかして今年は少しでも上向きにしないとな、、、。 学校関係はまだまだ売れ筋ではあるけれど、、、、。
それでも今年は新しい販路を開拓しなければ、、、。 テレビを点けてみた。
 毎度毎度のワイドショーである。 菅山首相の答弁が話題になっているらしい。 いいじゃないか、本音でぶつかってきたんだろう?
ああ言えばこう言う。 右を打てば左から攻めてくる。
マスコミはいつでも卑怯だ。 真正面からは攻めてこない。
 そうやって何人を死に追いやったのだろう? 有名人でも庶民でも関係無く土足で踏み荒らしプライバシーをズタズタに引き裂いてきたマスゴミたち、、、。
彼らは今日も悪びれること無く嘘を吐き散らし、善人ぶっている。 こんな連中を国も放置したままである。
 (まったくアホらしい連中だな。 その顔でエリートぶってるなんて猫が笑うよ。) 俺はコーヒーを飲みながらテレビを消した。
そこへ電話が掛かってきた。 出てみると京子である。
「どうしたの?」 「キャサリンがマーガレットに来たのよ。」
「何だって?」 「ずっと行方不明だったキャサリンがさっきマーガレットにやってきたの。」
「それで?」 「何かもめてるみたい。」
 「そうなのか。 まあ、あいつらのことだ。 金か薬かだろう?」 「そうとは思うんだけど何か違うのよ。」
「違う?」 「そうなの。 あ、待って。 動き出した。」
 そこで電話は切れた。 俺は妻の様子を伺いながら出掛ける準備をした。
「あらあら、お出掛けですか?」 「レーレレーのレー。 って何をやらせるんだ?」
「あなたが自分から出掛けるなんて珍しいから。」 「たまにはこんなことも有るよ。」
「たまには、、、、ねえ?」 「何だよ?」
「まあ、火遊びだけは気を付けてくださいねえ。」 「火遊びなんてしないよ。」
「そうかしら? 仕事人間ほど火遊びには弱いのよ。」 妻はニヤニヤしながら俺を見送っている。
 俺はというと、さっきの電話が妙に気になって仕方が無いんだ。 マーガレットと言えば警察だってマークしている店だからね。
しかも京子が住んでいるマンションの近くに在る店だ。 京子の身が危なくなることだって有るかもしれん。
 何てったって相手は桜田組だからね。 女一人じゃ戦えないだろう。
あれこれと思案を巡らせているうちにタクシーはマンションの前に着いた。 中に入る前にそれとなくマーガレットの様子を伺ってみる。
 駐車場には用心棒らしい男が二人、ポケットに手を突っ込んでウロウロしている。 何かやっているのだろうか?
時計は午後3時。 店は開店しているはず。
 今日は日曜日。 普段なら客がちらほらとやってきて賑わっている時間だ。
でも駐車場には車が無い。 薄いカーテンが敷かれていて店内もよく見えない。
(おかしいな、、、。) 俺は不思議に思いながらもエレベーターに乗った。

 京子の部屋のチャイムを押す。 (来てくれたのね?」
「あの電話で気になってさ、、、。」 「動きは無いのよ。 でもあの用心棒が気になって、、、。」
 「それはさっき、チラッと見てきたよ。」 「どうだった?」
「誰かを待っているような、若しくは誰かを待ち伏せているような、、、。」 「やっぱりね。」
 「やっぱり?」 「そう。 キャサリンが入った時に男の一人が妙に馴れ馴れしくしてたのよ。」
「あの、、、、黒メガネを掛けたやつだね?」 「そう。 あの男は組長の弟。」
「だとしたら、、、。」 「そうね。 今夜にでも組長がここに来るのかもね。」
 「でも、来たってメリットは無いだろう?」 「何言ってるの? ここのママは組長の女よ。」
「そうだった。 確かにそれじゃあ目的が無いと来ないよな。」 コーヒーを飲みながら俺たちはまるで探偵ごっこでもするように推理をしている。
 1商売人に過ぎない俺たちに何が分かるんだろう? 組のことなんて仕来りすら分かってないのに、、、。
京子は時々目を逸らしながら黒メガネの男を追い掛けている。 男は気忙しそうに店の周りを歩き回っている。
 時々、他の男と話しながら長い煙草を吹かしている。 「あれはパーラメントだね。」
「よく知ってるわねえ。 私は煙草なんて吸わないから分からなかったわよ。」 「あれは長い方だな。 短いのも有るんだよ。」
「そうなんだ。 知ってるわねえ。」 京子は台所に立った。
 そろそろ夕食時だ。 俺は妻に電話を掛けた。
「いいわよ。 帰ってくるまで残しとくから。」 そう言って電話は切れた。


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