呪われた悪霊王女は、男として隣国の人質となる~ばれたくないのに、男色王子に気に入られてしまって……?~

17話 服を盗まれる


――そして、危惧していたことは早々に起こった。
「…………ない」
ある夜、湯浴みを終え、浴場から脱衣所へと戻ってきてすぐベッティーナは気づいた。
服が、忽然と姿を消しているのだ。着てきた服も、替えとして持ってきた服も、どちらもない。
棚の後ろを一応覗いてみるまでもなく、盗られたのだと確信する。
なぜならベッティーナはメイドなどもつけず、一人で湯浴みをしているためだ。誰かがこの浴場に入ってこなければ、物が移動することはありえない。
「……やられたわね」
女だということを隠すため、浴室へ入るときも大手のクロスを膝上まで巻いていた。そのため、胸は潰してあるし、大事なところは隠せている。
ただこの状態で屋敷を闊歩して部屋まで向かうとしたら距離もあるので、さすがに隠し通せないかもしれない。
ベッティーナは一度、深いため息をつく。
が、それでどうにかなるわけでもなかった。どうにもならないことに、おろおろしても時間の無駄だ。
少し後にベッティーナが取ったのは、
『しばらくオレのことは呼ばないんじゃなかったのか、ベティ』
一方的な事情で、距離を取っていた相棒を呼び出すことだ。
はじめ、その声音は低く、機嫌が悪そうにも感じた。
あまりにも召喚しなかったことで、珍しく拗ねているのかと思ったが……
『いやいや、やはりオレが必要だったかよ、ひひひ』
段々と声がうわずっていく。それだけでなく袖からは数体の蛇が顔を覗かせて、大口を開けてこちらを見ている。明らかに揶揄われているらしかった。
やっぱり、プルソンはそういう悪魔だ。そんなセンチメンタルに左右される存在ではない。
『緊急事態だから仕方ないの。部屋までなにか服を取りに行ってもらえる? 盗まれたのよ』
『なんだ、そんなことか。久々だってのに、またつまらねぇ用事だな』
『……酒。それも、10年近く熟成したワインが手に入ったわ』
例の懇親会場で残ったものを、こっそりといただいてきていた。珍品をいくつか手に入れられたのは、あの会で唯一の成果といってもいい。
国から国への献上品には劣るかもしれないが、王子が催した会での酒だ。かなりの質であることには違いない。
『それから、嗅ぎたばこもあるわ。これも、懇親会でもらってきたの』
そして最後の一押しは、これになった。
プルソンは、おぉと声を上げると、挙動が大きくなり、空中を旋回する。
彼は印象そのままに、たばこも好むのだ。ただし、他の霊同様に煙には弱いらしく、嗅ぎタバコに限るが。
『ひひ、やっぱりいいなぁ、この屋敷。狭くて暗くてなんもねぇ屋敷と違って、いいものがたくさん手に入る環境だ。オレのために、ずっとこの屋敷にいてくれねぇかベティ』
『プルソンのために、というのはないけど、私もそのつもりよ。もっと本のことを勉強するためにも、この屋敷から出るつもりはない。今回の任務は、その継続にも大きく関わるわ』
『けけ、そういうことなら先に言えよ。お安い雑用すぎるぜ。オレに任せておくんだな』
『精霊や天使に見つからないようにしてもらえる?』
『そんなヘマしねぇって。とっとと終わらせて、たばこを味わいてぇからな』
プルソンはベッティーナの頭上でくるり一周すると、壁を抜け、脱衣所の外へと出ていく。
そして、無事に任務は成功してくれた。
上下一着ずつの服をプルソンが持ってきてくれたことにより、ベッティーナは部屋へと戻ることができたのだ。
そして、ここまで過ぎた悪戯をされたら、ここでは終われない。
今夜でこの悪事を根絶させる必要がある。
そのために、ベッティーナが引っ張り出してきたのは悪口の書き連ねられたあの紙だ。陰湿さ加減がよく似ているから、今回の件も同じ人間がやったにちがいない。
どうせ一度使ってしまったのだ、今日だけならばいいだろう。
『うめぇなぁ、たばこがありゃ酒が倍増の至福になるぜ、ひひひ!!』
一人でうるさく盛り上がるプルソンを『せめて静かになさい』とたしなめてから、ベッティーナは探索魔法を利用する。
この字を書いた張本人は、やっぱり屋敷内の人間らしい。すぐ近くに、反応があった。
プルソンを残し部屋を出たベッティーナはその感覚を辿るようにして、忍び足で屋敷内をひた歩く。
まだ九の刻、消灯前だった。屋敷内には使用人らの姿もある。
それをかいくぐりつつ、移動していた対象が止まった場所まで歩いていけば、屋敷の裏手へと出た。
そこにあるのは、焼却場のみだったから、その目的はそこで知れた。
どこかで見た顔だと思えば、キッチンメイド長の仕業のようだった。年齢で言えば、40すぎ。いつもは丁寧にベッティーナにも給仕を行ってくれていたが、裏では違ったらしい。
たぶん、リナルドによくされていたベッティーナに、苛立ちを溜めていたのだろう。彼の人気ぶりは、男女にも身分にも関係ない。
影から見ていると、彼女は一度周りを確認したあと、まさにベッティーナの服を火にくべようとする。
(……困ったわね)
悪霊を使おうにも、近くにはいない。それもそう、彼らは火が得意ではないため、近づかないのだ。
ならば、ベッティーナがやるほかなさそうだった。多少手荒にはなるが、そもそも仕掛けてきたのは、向こうである。
拳を握りこみ、魔力を溜める。
手を開くと、指先から黒い煤が伸びて帯状にこぼれてきた。
これは、普通の人には見えるものではない。だから背後から忍び寄らせて、目を覆いさえすれば、
「きゃ!!?」
視界を一挙に奪うことができる。
いわば、感覚を剥奪する魔法だ。光さえも通させない。かつて容赦なくふりかかってきた悪意から身を守るために、自然と習得した術の一つだ。
彼女がなにやら叫ぼうとするので、今度はその口をうごめく黒い魔力で塞いでやる。すると、彼女は悶えながら服を抱えて少し後ずさり、そこで膝から崩れ落ちた。
黒の魔力が直接体に流れ込んだのだから、無理もない。彼女は地面にうつ伏せになり、動かなくなる。
(……自分から大胆に仕掛けてきたわりには、情けないわね)
それを見下ろして、ベッティーナは意識を失っていることを淡々と確認した。
それから奪われていた服を取り返す。
前後の記憶は飛ぶ仕様だから、放置しておけば、少しあとに意識を取り戻してそれで終わりだ。
ベッティーナは何事もなかったかのように、自室へと帰る。
『この匂いだ、この匂いがオレを安らがせる!』
 光景が何も変わっていなかった。
そこでいまだ一人たばこを嗅ぎ続ける悪魔を見て、呆れ返るのであった。
< 17 / 36 >

この作品をシェア

pagetop