呪われた悪霊王女は、男として隣国の人質となる~ばれたくないのに、男色王子に気に入られてしまって……?~

20話 ヒシヒシ




 その日の夕暮れ時、ベッティーナがリナルドへと連れていかれたのは、リヴィの街中であった。
「よかったのですか、まだ書類仕事があったのでは? 今頃、リナルド様を探しているかもしれませんよ」
「はは、気にしたら負けだよ。仕事の前に少し憂さを晴らすだけだしね。それに、ばれやしないさ。あの裏口は僕しか知らないんだ。今日で君も知ったけどね」
 正門からではなく、リナルドふぁ作ったという、屋敷の壁に擬態させた隠し扉から二人で出てきた。
 そして今、ベッティーナはリナルドの散策に付き合わされている。
「うん、これもうまいな。なかなかいいな、あの出店」
 リナルドの手にはすでに、豚のスペアリブと陶器に入ったホットワインで埋まっていた。
「君もなにかいるなら、僕が出すよ。戦の前の腹ごしらえだ」
 とは言われたが、どれもこれも自分には縁遠いものに感じてベッティーナは居並ぶ店の前を通り過ぎていく。
 昼下がりに訪れたときとはまた景色が違う。道の両脇にある店だけではなく、出店がかなりの数出ているのだ。
 屋敷からぼうっと見下ろしていたときから、夕方からは屋台通りになることは知っていたけれど、想像していたより規模が大きく見えた。
「このあたりは夕方も夜も営業できるように、魔導ランプの数を増やしてるんだ。外から街に来る人を引き付けるメインスポットにもしたいから、魔力の補充も定期的にしてる」
色々なにおいのまじった煙が、いたるところから流れてきていた。
 一応、彼も学習はするらしい。リナルドはばっちり変装をしており、一応は民衆たちに紛れ込むことができているから、人並みに紛れられている。
しかし、ベッティーナが注意を払っておかないと、またいつぞや気が緩んで、その顔がばれるやもしれない。
実際はらはらするくらいにリナルドは愉快な様子で鼻歌なんかを鳴らして、ベッティーナを先導していた。
「どうして、そんなにうれしそうなんですか。そこまで屋台が楽しみだったのですか」
 思わず、こう尋ねてしまうほどだ。リナルドはリブにかじりつき、咀嚼を終えたあとに言う。
「ん。まぁそれもあるけど、少し違うかな。君の力があれば、霊障沙汰を穏便に解決ができるわけだからね」
「……かもしれないだけですよ」
「それでも十分なんだよ。これまでどうしようもなくて見過ごしてきた悪霊・悪魔たちを救ってあげられる可能性が高まるんだ。人に見えようが見えまいが、その魂は尊重するべきだからね。精霊も悪霊も、そこに差はないさ」
朝にも同じ理由を聞いたばかりだが、その理想主義っぷりにはやはり呆れざるをえない。
秘密をばらさない代わりに、リナルドがもちかけてきた頼み事こそこれだった。
悪霊・悪魔たちの魂を救済するための手伝い。
あまりにも意外だったから、最初は戸惑って反応さえできなかった。
 リナルドは、シルヴェリ国の第二王子であり、白い魔力の使い手である。なによりも精霊・天使にこのうえなく愛されており、精霊たらしと呼んでも差し支えない。
 だのに彼は、正反対の存在である悪霊や悪魔をもただ浄化するのではなく、その苦しみと向き合い魂を救いたいと言うのだ。
 聞けば、思い付きではなく日頃から徹底しているらしい。精霊や天使たちには反対されているとのことだが、それも押し切っているとのことだった。
そのため屋敷内では、浄化魔法などの類は基本的に使っておらず、霊障が起きるとその都度、どうにか情報を集めて悪霊の魂を救うべく解決を試みてきたとのこと。
今回の書庫封鎖事件も、悪霊の仕業であることはラファから知らされていたそうだが、どうせ理解を得られないからと周りには偽の情報を伝えていたらしい。
そのうえで見えないなりに、分からないなりに、どうにか霊障を起こしてしまった原因を調査しようとしていたのだそう。
リナルドの屋敷内に悪霊たちが住み着いていたのは、これが理由だとそこでやっと腑に落ちた。意図的に彼らは生かされていたのだ。
見えない魂にまで配慮することなど、普通ではありえない。
当然ベッティーナは、そこまで心が綺麗ではなかった。人のもとで好き勝手に浄化魔法を行い、悪霊らを虐げる精霊・天使を憎んだことは何度もある。
だが、悪霊を見捨てておけないという点においては、リナルドと一致していたから、その頼みを引き受けた。
むろん断れる機会など、はなからなかったようなものだが。
「さて、そろそろ仕事に行こうか。本当にそれだけでよかったの?」
 約一刻ほどが経って、リナルドはやっと満足したらしい。ほくほくとした顔で、ベッティーナに聞く。
 もともと大して腹が減っていたわけでもない。
 あまりにしつこく勧められるから、格好だけでもと購入したブレッドの最後のひとかけらを口に入れ終える。
「ええ、十分ですよ」
と応えれば、彼はもう何周かした大通りをついに曲がり脇道へと入っていく。すでに薄暗く、君の悪い雰囲気が出始めていた。だんだんと、どす黒い魔力が近づいてくるのも、肌に感じられる。
「ここだよ」
 何度か道を曲がった生活路をさらに裏路地へと入る手前で、彼はぴたり足を止めた。壁に隠れるよう言われたので、そのとおりにする。
「どうやら、ここにいる地縛霊らしいんだけど……」
路地を覗きこめばたしかに悪霊、いやこの圧の強さからしてその上位的存在である悪魔がいた。
人型でかつ、長い髪を地面まで垂らした女の容姿をしていて、下を向いたまま微動だにしない。
足先まではっきりと視認できて遠目には人間のようにも見えるが、それにしては他のすべてが異様だ。その一本一本の髪は針みたいに尖っており、家屋に突き刺さっているものもあった。
かなりどす黒い力を感じたから、あの髪にからめとられたら、気が狂ってしまうのだろう。
『いい男、いい男、どこ……』
はっきりと声も発していた。ペラペラとは違い、放っておいてもしばらくは消えそうにない力強さだ。
「見えるかい?」との問いにベッティーナはこくりと、首を縦に振る。
「そうか、やっぱり。最近、男ばかりがこの路地裏を覗きこんでは、身体中ぼろぼろ、しかも心ここにあらず状態で帰ってくるらしいんだよ。みんなそろって、『綺麗だ』って何回も繰り返すらしい。この路地裏の正面に出ていくと、金縛りにあって身体が動かなくなるとか、フラヴィオが言ってたっけな」
 リナルドはベッティーナの耳元でささやく。
 襲われた男性たちはその後、しばらくはうなされるだけうなされ、中には死を選ぶ者もいたとか。そのため近くの住民らは現在、別の場所へ避難しているという。
話を聞くに、かなり強力だ。人間に直接働きかけるばかりか、明白に害を与えている。
「……死人が出ているのに、浄化しなくてもいいのですか」
 一応、ベッティーナは聞いておく。
 悪霊・悪魔の願いを聞き届け、見捨てないことを信条にしているベッティーナではあるが……
お付きのメイドが殺されかけるなど、あまりに与える影響が大きい場合は強硬手段で戦うことも過去にはあった。
 苦い経験がよみがえって、唇を噛む。きれいごとだけでは、立ち行かないのだ。
「何度かは精霊師も呼ばれて浄化をこころみたらしいけど、失敗したみたいなんだ。つまり協力だから僕に話が回ってきたんだけど……。僕らがやる以上は、問答無用の浄化は最終手段にしたいね」
 だのに、ここでも彼はあくまで理想を口にする。
 ベッティーナには到底理解のできないことであったが、今はとにかく言われたとおりにやるほかない。秘密を握られている側なのだ。
「……分かりました」
 ベッティーナは力の抜けていた拳を固め魔力を指輪へと込めて、プルソンを呼びだす。そのうえで、暴れまわらないように、強い魔力で彼を引き付けておいた。
『なんだ、ベティ。こいつと一緒に行動してんのか』
 なにかを察したのか、小声でプルソンが言う。
『のっぴきならない事情なのよ。それよりほら、そこ。見えるでしょう』
『あぁ、ひしひし感じてるぜ。こりゃたしかにすごいのがいるな。奴の名前は、ヒシヒシでどうだ』
 やはり、プルソンが認めるほどの大物のようだ。
 そしてネーミングセンスは、相変わらず皆無である。どうしても擬音を繰り返したいらしいし、そう聞くとなんだか弱そうにも聞こえた。
「どんな話をしてるんだい?」
 そこでリナルドが口を挟む。
悪魔とどんな話をするのかと興味津々の表情だが、その期待に沿えるような有益な会話はしていない。子どもと話すくらい、なんともない内容でさえある。
「ヒシヒシの話ですよ。あの悪魔をそう名付けました」
「……そうか、それはまた独特だな」
 微妙な反応になるだろうことは承知の上だったが、会話を終えるのに都合がよかった。
「しばらく邪魔をしないでください」
 ベッティーナはさっそく、プルソンの力を借りて過去透視を行うこととする。
 明らかに強力な悪魔である以上、魔力を惜しんで探りを入れ下手に刺激した結果、狂暴化させたらまずいと考えたためだ。
 普段、プルソンは酒をやらねば、特殊な力は貸してくれない。だが、天使にはしゃぐ姿を見られていた件について、昼間に叱りつけたばかりだ。
 少しは反省したのかもしれない。ここは素直に、ベッティーナの前へとやってくるので、その首元に両手を重ねて三角を作った。
 黒の魔力が一気に吸い取られていく。何度体験しても、こればかりは慣れない。黒くて深い、闇の底へと引き込まれる感覚に襲われる。
 リナルドがなにやら言っているが、落とし穴のはるか上の方から聞こえてくるような感覚で、はっきりとは聞き取れなかった。
 どうしようもなく、暗い気持ちに襲われる。いつか味わった世界でただ一人にされる孤独を疑似体験しているうちにやっと、必要魔力に達したらしい。
 透明になったプルソンの身体が、ベッティーナの内側へと溶け込んでくる。
「……目が変わったな、いい瞳じゃないか」とのリナルドの声は、ここでやっと聞えてきた。
 分かりやすいお世辞は聞かなかったことにして、その白蛇じみた瞳を正面から目が合うことのないよう、ヒシヒシへと向ける。
 そうすることで、その過去の記憶を見ることに成功した。
 まず映ったのは、彼女が小さな少女だった時代の記憶だ。このあたりの商家の人間として生活をしていた彼女は、近所では有名になるほどの美人であった。
 なるほどたしかに美しく、色気もあり、可愛げもある。
 妙齢になると、言い寄ってくる男の数も多く、また大金を積んでも彼女を嫁に迎え入れようとするものもいた。
『ありえないわよ、そんなの。私はもっと素敵で格好よくて、かつお金も持っている男と結婚するの』
 が、幼い頃から周りの人間によって培われてきた自尊心がそうはさせなかったらしい。
 自分の容姿を強く信じ込んだ彼女は、やがて貴族階級の男たちとの恋を夢見る。そして――
すべてを確認しおえたベッティーナは、気分が悪くなって顔をうつむける。壁によりかかってしまう。
「どうしたんだい、ベッティーナ君。とりあえずここを離れようか。万が一があって、あいつの正面に出たら大変だからね」
 リナルドはそんなベッティーナを引っ張り、路地から離れていく。
 目の力を使うのをやめても、調子は戻りそうにもなかった。
 黒魔術の副反応、だけではなかった。なんならむしろ前にも使ったばかりだから身体が慣れたのか、そこはましに抑えられていたほうだ。
 最悪だったのは、流れ込んできた記憶の方だった。
「本当に大丈夫かい? 僕を手伝って君が倒れるなんてのは、御免だよ」
 リナルドは、ベッティーナにヒール魔法をかけんとするが、そんなもので効果があるわけもない。これは、精神的なダメージによるものだ。
なぜなら、あの悪魔・ヒシヒシが最終的に恋をした貴族というのは、この国の第二王子。
まぎれもなくこの男、リナルド・シルヴェリだったからだ。

「自業自得ですよ、こんなのは。誰彼構わず、いい顔をしているからそうなるんです」
 場所を一度近くにあったベンチに移して、ベッティーナはそこでリナルドに苦言を呈する。
「……痛いことを言うなぁ、君は。僕だって、人気を得なきゃならない事情はあるんだよ、王族の権力争いもあるからね。でもそうか、僕を慕ってくれていたけど、見向きもされなくて心を痛めた末に自殺……。それがあの悪魔になった、と」
 自然死した者より、自殺などの理由により死んだ者のほうが、悪霊になりやすく、またより強い思念を持つ悪魔になる。
 今回のヒシヒシは、その典型例らしかった。
 ベッティーナは、隣で唇を噛み、痛恨と言った顔で目をつむる色男を見やる。
たしかに、その見目はあまりにも完璧だ。その雲よりも透き通った白い髪は、西日を受けて、鮮やかなオレンジ色に映っていた。青の瞳は夕日の煌めきをまとう湖面かのよう。それらすべてが見る者の目を奪うに容易い。
といって、親しかったわけでもない相手に狂ってしまうほどの好意を向ける理由は、ベッティーナには理解できなかった。
そもそも男色疑惑がぷんぷん匂っている男なわけで、最初から脈なんてまったくなかったのだろうし。
「どうすれば、鎮まると思う?」
「あなたが犠牲になれば、すぐ済むでしょうが」
「……怖いことを言わないでくれるかな。それはなしの方向で考えたいんだけど」
 とすれば、どうするべきか。ベッティーナが考えを巡らせていたら、リナルドがふと顔を上げる。
「いや、その手があったか。できるかもしれないよ、それ」
「なんですか、犠牲になる覚悟が固まったのですか」
「馬鹿な事を言うなよ。とにかく戻ろうか、やって見せた方が早いな」
 ここで明かしてはくれないらしかった。先々行ってしまうリナルドに付き添い、ベッティーナは裏路地の手前へと戻ってくる。
 暗く、陰質な空気がヒシヒシのいる住宅の間、狭い道を超えて、ベッティーナ達のいるところまで垂れこめてきていた。しばらく時間を空けたが、一切変わらぬ迫力だった。
 そんな中で彼は手を煌々と光らせる。その色は白ではなく、茶色だ。つまり、土や植物に関する魔法になる。
見ていることしばらく、それは完成する。
「……これって」
「僕の土人形。どうだい、似ているだろう?」
 たしかに、そっくりそのままと言って、差し支えない。髪や肌の色味まで、しっかりと再現されている。肩口にはリボン記章がついており、胸にかけては黄土色の立派な飾緒がついた正装姿だ。
そのうえ、自立するように土台までついていた。
 ほぼ等身大の人形である。ただ身分が高いだけじゃない。分かっていたことだが、ここまで精緻に魔法を操れるのだから、どのつくエリートだ、リナルドは。
「えぇっと、君の悪魔にこれをそこまで運んでもらえるかな。うちの天使には、到底運べないからね」
 プルソンの嫌いな雑用だが、しょうがない。
 再び召喚すると、あからさまに機嫌が悪かったが……やらかしたばかりだからか、今日はそれでも命令を聞いてくれる。
『おら、これでいいんだろ⁉』
 荒れ狂いながらではあったが、その土人形をヒシヒシの目の前へと置いてくれる。
 プルソンの声で注意を引くことはできていたから、あとは目が合わないように見守るだけで済むはずであった。
しかし、たしかに土人形を見たはずのヒシヒシは、その土人形をなぎ倒す。なにをするかと思ったら壊し始めてしまった。
「……あれが僕自身だったと思うと、寒気しかしないよ」
 うん、そうでしょうとも。リナルドが身を抱え込むのも無理はない。
本人からしてみれば、そっくり自分の姿をした人形が壊されているのだから、恐怖するのは当たり前だ。
「とりあえず、作戦は失敗ってことかな。また下がろうか」
 リナルドは両肩をさすりながら、早歩きで行ってしまう。
 その意外にも情けない背中を見てから、ベッティーナは再度、路地を再度覗きこんでみる。
よく見ればヒシヒシは身体全体を壊していたわけじゃない。表面を、その鋭利な髪の毛ではぎ取っていた。
 そのたびに本体はずたずたになっていくのだから、なかなかに見て居られない光景である。
 さっきと同じベンチに座り、ベッティーナはリナルドの姿を見る。
 自分を写したような人形がずたずたにされている光景がよほどのショックだったのか、やや落ち込んでいる様子に映った。
 だが、別になぐさめてやるような関係でもない。
「大丈夫ですか」
 と、一応聞いて、ただ回復するのを待っていたらその胸元に輝くバッジに目が留まった。それで一気に、色々なことが腑に落ちていった。
「分かったかもしれません」
「……え、なにが?」との返事をしたリナルドは、声も震えており、いつになくうろたえて見えた。
 少しだけ、いや結構面白かったのは、秘密だ。

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