呪われた悪霊王女は、男として隣国の人質となる~ばれたくないのに、男色王子に気に入られてしまって……?~
四章 過去と思い

23話 物語を書くために


     三章


ついに、この時が来たか、と。
ベッティーナはある種の感慨を覚えながら、ペンを握っていた。
書庫内の席にて向かい合うのは、罫線の入った用紙だ。
くれたのは、この屋敷の司書を務めているロメロである。すでに長編を書き上げて、書籍を出版している彼はベッティーナにとって、道しるべとなる存在だ。
 そんな彼から「まずは短編でも書いてみたら」と勧められたので、まさにその通りに取り掛かろうとしていた。
だが、なかなか最初の一文が出てこない。
(……アイデアだけはあるのだけれど)
 ベッティーナは、愛用しているメモノートを取り出し、数ページをめくる。
内に閉じられた環境とは違って外の世界は、情報に溢れている。リヴィの街へ来てからは、とくに外出が増えるようになってからは、一気に埋まるようになった。
 外出が増えた理由は、またしてもなぜか目の前に座っている彼。リナルド・シルヴェリにある。
彼に悪魔を使っていることがばれてから三か月ほど。
あれ以来ベッティーナは、彼に乞われてしばしば、悪霊たちの暴走を静めるために駆り出されるようになったのだ。
 大小あれど霊障沙汰は、さまざまな場所で起きるもの。
全ての魂を救うことは当然できないにしても、その機会が増えること自体は彼らを見捨てておけないベッティーナにとっても望ましいことであったから、しょうがなく協力をしている。 
 おかげで同じ時間を過ごすことも増えて、こうして付きまとわれることへの嫌悪感が麻痺してしまったのは、いいことなのか悪いことなのか。
この三か月の間にリナルドは、わざわざ書庫に公務の資料を持ち込んでまでベッティーナと過ごすようになり、今もそうしている。
「ここの方が執務室よりも開放的で仕事がはかどるんだ」と言っていたが、本当の目的は分からない。
悪霊が見える人間によほど興味があるのだとベッティーナは考えているが……
「なんだい、ベティ。まだ一文も書いてないのに、僕の方を見て。あ。もしかして僕が気になって、集中できていないんじゃないかい?」
「……別に、そういうわけじゃありませんよ」
 単に、揶揄うのにちょうどいい相手だと思っているだけかもしれない。
 今や、あだ名で呼ばれるようにもなってしまっていた。
けらけらと親し気に笑いかけてくるリナルドの表情は、実に生き生きとして見えた。夏仕様なのか少し短めになった髪や、夏らしい薄手のシャツがその印象を強調する。
それでいて、憎たらしくなるくらい爽やかなのは、汗一つかいていないからだろう。
汗ばむ首元にこそこそハンカチを押し当てているベッティーナとは、同じ王室生まれでも、なにもかもが違うのだ。
 ベッティーナはそのある意味では人間離れした完璧具合に少しいらっとしつつ、
「ロメロが来ないので、どうかしたのかと尋ねようと思っていただけです。今日彼とは、小説を見てもらう約束をしていますから」
 リナルドが気になっていたわけじゃないことを強調するため、別の話題を持ってきた。
 本当に、それは気になっていることであった。
いつもなら朝早くから書庫にいて、執筆活動もしているはずの彼の姿がどこにも見当たらないのだ。最近は夏も盛りで、日の昇る時間が早くなったこともある。
最近は七の刻には書庫にいたはずが、時刻はすでに十の刻だ。
「んー……さぁ? 昨日、一昨日と休みだったけど、今日は聞いていないよ」
 リナルドに情報が届いていないのだから、公休などではない。とすれば、なにか急用でもできたのだろうか。
「そうだ。小説を見てほしいのなら、僕が代わりに見ようか? 僕も結構本は読む方だしね」
「……いえ、結構です」
 ベッティーナはここでわざとらしくペンを取り、強制的に話を終わらせる。
「相変わらず、つれないなぁ」などとリナルドが苦笑したところで、書庫の扉が開く音が席まで聞こえてきた。
 やっとロメロが来たかと思えば、足音は一つではなく二つだ。
「リナルド様、ご集中なされているところ、失礼いたします」
 リナルドの執事・フラヴィオもロメロと一緒に来ていた。
彼はいまだに、ベッティーナを無視するような振る舞いを続けていて、こちらを向きもしない。が、わざわざ説明されずとも彼がここへ来た理由は分かる。
「ロメロ、それどうしたの」
 ベッティーナは、持ったばかりのペンを置き、包帯を巻く彼の腕へと一度目を落としてから、尋ねる。
「あぁ、ベッティーノ様。ご心配をおかけします。一昨日、お休みをもらって、街にある出版事業者の元へと足を運んでまして……その道中で通りかかった近くの家の屋根が突然に崩れてきて、このざまです。骨を痛めたんです」
「そんなことがあったの」
 とんだ災難だ。いきなり屋根が崩れてくることなんて、そうあることではない。
昨日はベッティーナもリナルドに連れられ外出したが、地震が起きたわけでも、突風が吹いたわけでもなかった。むしろ穏やかな日だったから、なおさらだ。
「本日、彼が遅刻したのはその事情を私が確認していたためです。ご容赦ください。それと、もしよろしければ……」
 フラヴィオがそこまで言ったところで、リナルドは一つ頷く。
いつくしむような目をロメロへと向けた。
「辛かったね、ロメロ。でも、もう心配ないよ」
彼は首に下げていたチェーンに結んだ指輪に触れる。するとぽわっと淡い光の繭ができ、そに中からは手のりサイズの小さな天使が現れる。もう何度も見てきた光景だ。
「リナルド様。俺、一応もう治療は受けたのですけど……」
「はは、ラファのヒールは特別だからね。君には見えないだろうけど、他の精霊たちに受けるものとは根本から違うよ」
「ですが、俺のような身分の者が王子にご治療いただくなんて、お手を煩わせるんじゃないでしょうか」
「いいから。君みたいな優秀な司書が怪我できちんと働けない方が、うちにとっては痛手だなんだよ。ラファ、頼むよ。できるね?」
 リナルドにこう確認されたラファは、「当然だよ」と朗らかに答えて羽をはためかせると、ロメロの腕へと光の粒を撒く。
 包帯がされていたから見た目には分からなかったが、効果はてきめんだったようだ。
ヒールが終わると、ロメロはすぐに包帯を外して何度か手を動かす。
「ありがとうございます、リナルド様、ラファ様……!」
貴族ではない彼に、ラファの姿は見えないだろうが、何度も礼を述べていて、これには口の悪いラファも溜飲を下げたらしく少し機嫌がよさそうにリナルドとじゃれていた。
 その後ロメロは、約束していたとおりベッティーナに対して小説の指導をしてくれる。
さすがは、作家様であった。
結局文章を書くことはなかったが、書き出す以前にどういうふうな流れで書くのだとか、設定面の整理方法だとかを学ぶことになる。
 つきっきりの講義は、ベッティーナにはかなりありがたいものだった。その礼として、ベッティーナは本の並び替えや棚差しを手伝うこととする。
 休んでいた間に、仕事が溜まっていたらしいのだ。
「……ベッティーノ様、丸くなられましたね」
 その作業の最中、ロメロから言われたのは、思わぬことであった。
ベッティーナが本を手にしたまま固まったから、彼はすぐに「いや、すいません。最初に怖い顔で迫られた印象が強くて、えと、忘れてください」と発言を撤回する。
 しかも勝手に動揺してか、彼は積んでいた本を崩してしまっていた。静かな館内に、大きな音が鳴る。
「大丈夫です、これは俺がやりますから」
 ロメロはぺこぺこ頭を下げながらその片付けに入り、会話はそこで終わりになった。
だが、ベッティーナの中から消えるわけではなく、そのまま心の片隅に残っていた。

 そんな折のことだった、さらなる不幸のしらせが届いたのは。

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