シャロームの哀歌
 イザクさえいなければ、ミリは今も笑って故郷で過ごしていたかもしれないのに。

 だが振りかぶったまま、それ以上動けない。
 未だイザクを愛している。
 ミリは短刀を力なく手落とした。

 溢れ出す涙が止まらない。イザクごと、世界の何もかもが歪んで見えた。
 あのとき死んでしまえばよかったのだ。生き残ったのが、なぜこの自分だったのか。

 己など生きる価値のない存在だ。
 虚無感に襲われて、ミリはその場に泣き崩れた。

「わたしを殺して。今すぐみんなの元にいかせて……」
「ミリ……」

 どうしてこのひとに出会ってしまったのだろう。
 イザクと出会いさえしなければ、何も知らずに感情を殺し続けることができたのに。

「あなたは一生罪を背負って生きていくのよ。この国の平和と引き換えに、わたしから大切な家族を奪ったのだから……!」

 床に転がる短刀を拾い上げ、ミリはイザクの目を真っすぐに見た。

「もう……嫌なの。これ以上、気持ちを偽って生き続けるのは……」

 目を逸らすことなくイザクに短刀を手渡した。
 イザクもまた、ミリから視線を外そうとしなかった。

「だからお願い。あなたの手でわたしを殺して」

 首筋に刃を当てさせる。
 震えるイザクの手を取って、柔らかな皮膚に鋭利な刃を押しつけた。



 その後、偉大なる賢人(ハハム)は人々の前から姿を消した。最後の生き残りだった、最果ての村の犠牲者の亡骸(なきがら)とともに。

 やがて戦地となった村の名も忘れ去られ、平和(シャローム)の祭りの習慣と、語り継がれた英雄の名だけが後世に残された。


 時は流れ、生み出された不和に人はまた争いを繰り返していく。
 それぞれがそれぞれの正義のために。

 


【完】







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