敏腕教育係は引きこもり御曹司を救えるか?
180度くらいに熱した油に、衣をつけた鶏肉をそっと入れる。衣はカリッとした食感が出るよう、片栗粉多めが好きだ。パチパチという心地良い音が響き、香ばしい匂いが鼻腔をくすぐる。
昭和屋で無理して買った平飼い鶏のもも肉と、なんちゃらソルトというスパイスを使った唐揚げ。今日の阿久津の晩御飯のおかずだ。
料理が得意かと聞かれれば、阿久津は自信を持って頷くことは出来ない。一人暮らし歴は長いので大抵のものは作れるが、大体はネットのレシピを見よう見まねで作っているだけだ。つまりは、普通程度? しかし、唐揚げを作ったのは久しぶりだ。揚げ物は手間がかかるし汚れるし、普段なら時間がある時にしか作らないが、何しろ通勤時間がほぼ0になったため、阿久津は暇なのだ。
唐揚げを揚げ終わり、野菜を盛り付けた皿に乗せる。なかなか良い出来栄えだ。
学は、きっと今日も自分の部屋に居るのだろう。何となく多めに肉を買ってしまったが、わざわざ声をかけるのもどうだろうか。
迷ったが、阿久津は席を立ち、適当な皿に半分唐揚げと野菜を盛り付けて学の部屋に行く。と言っても、部屋数が多すぎてどこが学の自室なのか分からないので、気配を頼りに歩く。
学の部屋は案外すぐに見つかった。ゲームをやっているような、電子音とキーボードやマウスをいじる音がする。これ、話しかけて良いんだろうか。阿久津はネットゲームをやったことはないが、こういうオンラインゲームのようなものは0.1秒で勝敗が決まったりする。だからこそ性能のいいゲーム用のパソコンをみんな買うのだとか(後輩・間宮談)。
「うーん、出直すか」
引きこもりがテーマのドラマでよく見るような、部屋の前にラップをかけてご飯を置いておくのもなんだか違う気がして、阿久津は結局学に気付かれないようにダイニングに戻った。
とりあえず、この家のどこに彼が居るか分かっただけでも収穫と思うことにしよう。
ダイニングに1人座って唐揚げをかじる。揚げたてはやはり美味しい。持ってきていた実家・富山の米にも合う。
しかし、やはり1人で食べるには量が多かった。もう一度学の部屋に行って食べるか聞いてみるか? 朝は目玉焼きに興味を示していたし、全く食べたくないわけではないのでは? だが、一応お金とそれなりの手間をかけて作った料理だ。もし朝になって全く手をつけていなかったり、ゴミ箱に捨てられていたら、流石に阿久津もメンタルにくる。
散々迷った挙句、また学の部屋に余った唐揚げを持って行くことにした。綺麗に盛り付け直し、箸も付けて持っていく。
まだゲームをやっているかと思いきや、何と部屋から出てきた学と鉢合わせした。
「あ」
「あ」
2人とも、思いがけぬ邂逅に固まってしまう。
「あ、ああ学くん。こんばんは。ただ今帰りました」
とりあえず阿久津は愛想良く笑って応対してみる。
「だいぶ前に帰ってたの、知ってる。音がしたから」
「え? あ、そう。うん、まあそうなんだよね」
ゲームに夢中で何も気づいていないのかと思ったら、そうでもないらしい。
「ええと」
早々に沈黙が訪れたので、阿久津は思い切って手に持っていた料理を見せる。
「唐揚げ、好き? 実は晩御飯に作ったんだけど食べきれなくてさ。学くん、食べないかなーと思ったんだけど」
「唐揚げ」
学は阿久津の持った皿を珍しそうに覗き込んだ。
「さっきから匂いがすると思ったらこれか」
「あーごめんね! こっちまで匂ってたか」
「……唐揚げって、家で作れるんだ」
「え? ああ、ちょっと面倒だけど、作れるよ。鶏肉だから材料費も安いしね。学くんはお店で食べる派? お惣菜?」
「さあ。忘れました。もうずっと宅配やウーバーイーツなんで」
「あ、なるほど。言われてみれば、外出てないしそうなるよね。……家族と一緒に暮らしてた時は?」
聞いて良いのか分からなかったが、まだ学が引きこもりでなく、家族とコミュニケーションを取れていた時はどうだったのか気になってしまった。
「その時も外食か宅配ですね。あんまりうち、料理とかは……父さんも母さんもしない家だったんで」
「そうなんだ」
学が阿久津の目玉焼きや唐揚げを物珍しそうに見ていたのはそういうことだったのかもしれない。確かに、キッチンにはブランドの皿やティーカップは売るほどあるものの、調理器具は妙に少なく、使い込まれていなかったのは阿久津も気づいていた。
「なら、この唐揚げの味見てみてよ。宅配とかウーバーは食べ飽きてると思うから、たまには良いんじゃないかな?」
朝よりも少し踏み込んで聞いてみる。が、その時ちょうどインターフォンが鳴る。
「あ。……ウーバーイーツ来ちゃった」
学が気まずそうに言う。
「あ、もうご飯頼んでたんだね。私、代わりに出ようか?」
「いや大丈夫。いつも玄関前に置き配なので」
配達員はいつもこのワンフロア独占の部屋を見てどう思っているのだろう、と阿久津は一瞬思った。
「そっか。じゃあ唐揚げも食べるとお腹いっぱいになってしまうね。これは明日の朝ごはんに回そうかな」
「そ、そうですね……僕あまりたくさん食べられないので」
「了解! おせっかい焼いてごめんね。好きなもの食べてね」
阿久津は取りかけていた唐揚げの皿のラップをかけ直し、出直そうとした。食事を通じて分かり合えるかな、なんて少し期待したけれど、それは余計なお世話だったか。大丈夫、気長に行こう。そう思った時、学に呼び止められた。
「あ、あの。……阿久津、さん」
「はい?」
振り向くと、阿久津は顔の片側を押さえながら何かを懸命に話そうとしている。言葉を絞り出そうとして格闘しているように見えた。阿久津は辛抱強く、学が話すのを待った。
「僕、それ頂きます。……家で作った唐揚げ、食べてみたい」
「えっ」
「あ、今更ごめんなさい。もう阿久津さんの朝ごはんに回すのが決まってたら良いんですけど」
「ううん、ううん! 食べてください。是非! 嬉しいです」
学の思わぬ申し出に、阿久津は思わず笑みが溢れた。きっと学なりの気遣いだろう。唐揚げを食べてもらえないと知って、きっと阿久津も知らず知らずのうちに落胆が表情に現れていたのだ。それを彼はなんとかしたいと思ってくれたのだろう。そう思うと、阿久津は自分の未熟さを感じるとともに、彼の優しさに胸を打たれた。
この青年を絶対、1人の社会人として世に出したい。阿久津はこの時、改めて己に気合が入るのを感じた。
昭和屋で無理して買った平飼い鶏のもも肉と、なんちゃらソルトというスパイスを使った唐揚げ。今日の阿久津の晩御飯のおかずだ。
料理が得意かと聞かれれば、阿久津は自信を持って頷くことは出来ない。一人暮らし歴は長いので大抵のものは作れるが、大体はネットのレシピを見よう見まねで作っているだけだ。つまりは、普通程度? しかし、唐揚げを作ったのは久しぶりだ。揚げ物は手間がかかるし汚れるし、普段なら時間がある時にしか作らないが、何しろ通勤時間がほぼ0になったため、阿久津は暇なのだ。
唐揚げを揚げ終わり、野菜を盛り付けた皿に乗せる。なかなか良い出来栄えだ。
学は、きっと今日も自分の部屋に居るのだろう。何となく多めに肉を買ってしまったが、わざわざ声をかけるのもどうだろうか。
迷ったが、阿久津は席を立ち、適当な皿に半分唐揚げと野菜を盛り付けて学の部屋に行く。と言っても、部屋数が多すぎてどこが学の自室なのか分からないので、気配を頼りに歩く。
学の部屋は案外すぐに見つかった。ゲームをやっているような、電子音とキーボードやマウスをいじる音がする。これ、話しかけて良いんだろうか。阿久津はネットゲームをやったことはないが、こういうオンラインゲームのようなものは0.1秒で勝敗が決まったりする。だからこそ性能のいいゲーム用のパソコンをみんな買うのだとか(後輩・間宮談)。
「うーん、出直すか」
引きこもりがテーマのドラマでよく見るような、部屋の前にラップをかけてご飯を置いておくのもなんだか違う気がして、阿久津は結局学に気付かれないようにダイニングに戻った。
とりあえず、この家のどこに彼が居るか分かっただけでも収穫と思うことにしよう。
ダイニングに1人座って唐揚げをかじる。揚げたてはやはり美味しい。持ってきていた実家・富山の米にも合う。
しかし、やはり1人で食べるには量が多かった。もう一度学の部屋に行って食べるか聞いてみるか? 朝は目玉焼きに興味を示していたし、全く食べたくないわけではないのでは? だが、一応お金とそれなりの手間をかけて作った料理だ。もし朝になって全く手をつけていなかったり、ゴミ箱に捨てられていたら、流石に阿久津もメンタルにくる。
散々迷った挙句、また学の部屋に余った唐揚げを持って行くことにした。綺麗に盛り付け直し、箸も付けて持っていく。
まだゲームをやっているかと思いきや、何と部屋から出てきた学と鉢合わせした。
「あ」
「あ」
2人とも、思いがけぬ邂逅に固まってしまう。
「あ、ああ学くん。こんばんは。ただ今帰りました」
とりあえず阿久津は愛想良く笑って応対してみる。
「だいぶ前に帰ってたの、知ってる。音がしたから」
「え? あ、そう。うん、まあそうなんだよね」
ゲームに夢中で何も気づいていないのかと思ったら、そうでもないらしい。
「ええと」
早々に沈黙が訪れたので、阿久津は思い切って手に持っていた料理を見せる。
「唐揚げ、好き? 実は晩御飯に作ったんだけど食べきれなくてさ。学くん、食べないかなーと思ったんだけど」
「唐揚げ」
学は阿久津の持った皿を珍しそうに覗き込んだ。
「さっきから匂いがすると思ったらこれか」
「あーごめんね! こっちまで匂ってたか」
「……唐揚げって、家で作れるんだ」
「え? ああ、ちょっと面倒だけど、作れるよ。鶏肉だから材料費も安いしね。学くんはお店で食べる派? お惣菜?」
「さあ。忘れました。もうずっと宅配やウーバーイーツなんで」
「あ、なるほど。言われてみれば、外出てないしそうなるよね。……家族と一緒に暮らしてた時は?」
聞いて良いのか分からなかったが、まだ学が引きこもりでなく、家族とコミュニケーションを取れていた時はどうだったのか気になってしまった。
「その時も外食か宅配ですね。あんまりうち、料理とかは……父さんも母さんもしない家だったんで」
「そうなんだ」
学が阿久津の目玉焼きや唐揚げを物珍しそうに見ていたのはそういうことだったのかもしれない。確かに、キッチンにはブランドの皿やティーカップは売るほどあるものの、調理器具は妙に少なく、使い込まれていなかったのは阿久津も気づいていた。
「なら、この唐揚げの味見てみてよ。宅配とかウーバーは食べ飽きてると思うから、たまには良いんじゃないかな?」
朝よりも少し踏み込んで聞いてみる。が、その時ちょうどインターフォンが鳴る。
「あ。……ウーバーイーツ来ちゃった」
学が気まずそうに言う。
「あ、もうご飯頼んでたんだね。私、代わりに出ようか?」
「いや大丈夫。いつも玄関前に置き配なので」
配達員はいつもこのワンフロア独占の部屋を見てどう思っているのだろう、と阿久津は一瞬思った。
「そっか。じゃあ唐揚げも食べるとお腹いっぱいになってしまうね。これは明日の朝ごはんに回そうかな」
「そ、そうですね……僕あまりたくさん食べられないので」
「了解! おせっかい焼いてごめんね。好きなもの食べてね」
阿久津は取りかけていた唐揚げの皿のラップをかけ直し、出直そうとした。食事を通じて分かり合えるかな、なんて少し期待したけれど、それは余計なお世話だったか。大丈夫、気長に行こう。そう思った時、学に呼び止められた。
「あ、あの。……阿久津、さん」
「はい?」
振り向くと、阿久津は顔の片側を押さえながら何かを懸命に話そうとしている。言葉を絞り出そうとして格闘しているように見えた。阿久津は辛抱強く、学が話すのを待った。
「僕、それ頂きます。……家で作った唐揚げ、食べてみたい」
「えっ」
「あ、今更ごめんなさい。もう阿久津さんの朝ごはんに回すのが決まってたら良いんですけど」
「ううん、ううん! 食べてください。是非! 嬉しいです」
学の思わぬ申し出に、阿久津は思わず笑みが溢れた。きっと学なりの気遣いだろう。唐揚げを食べてもらえないと知って、きっと阿久津も知らず知らずのうちに落胆が表情に現れていたのだ。それを彼はなんとかしたいと思ってくれたのだろう。そう思うと、阿久津は自分の未熟さを感じるとともに、彼の優しさに胸を打たれた。
この青年を絶対、1人の社会人として世に出したい。阿久津はこの時、改めて己に気合が入るのを感じた。