三日月が浮かぶ部屋で猫は ~新米ペットシッターは再会した初恋の彼の生涯専属を求められる~
 むいたリンゴを出して、彼は言った。内心を感じさせないそっけない口調だった。
 彼の父が経営しているアヤノ食品株式会社はレトルト食品を中心に展開している食品メーカーで、大企業だ。

「すぐに食べると思って塩水にはつけてないよ」
 出されたリンゴは、ウサギ耳ならぬ猫耳をイメージしたカットだった。
「かわいい!」
「ウサギの耳を短くしただけだけど。喜んでもらえて良かった」
 尚仁は口元をほころばせた。
「ありがとう。いただくね」
 沙耶は添えられた小さなデザートフォークで刺し、かじりついた。

「本当のことを言うとね」
 リンゴにフォークを刺して、尚仁は言う。その目はリンゴを見つめている。
「同窓会でみんなに御曹司って言われ続けたのは参った」
「そんなに言われたの?」
 リンゴをかじって、尚仁は頷く。
 雪絵が憤りとともに話してくれたことを思い出す。いじめていた人間が急に親友扱いして、女性は彼に媚を売っていた、と。

「引っ越し直前にさ、俺が母子家庭で貧乏だってからかわれてるのを知った先生が、実はアヤノ食品の息子だってばらしちゃったじゃん」
「そうだったね」
「かばおうとしたんだろうけど、正直、余計なことをって思った。大人になってもひっぱることになるとは思わなかったよ」
 うんざりと尚仁は吐露する。
 沙耶はまたリンゴをかじった。しゃく、と音がして、甘みとともにみずみずしい酸味があふれた。

「俺自身は御曹司のつもりはないし、君が変わらないでいてくれてよかった」
「私も、尚くんが変わってなくてよかった」
 背が高くなって声も低くなって、変わったところは多いけど、本質の優しいところは変わっていない。弱音を打ち明けてくれるのも、なんだかうれしかった。

「あの人、変に正義感が強かったよなあ。花壇の花が折れてたときも怒り狂って、深夜の学校で張り込みをしたり自費でカメラまでつけたりして」
「結局、カラスが折ってたのよね?」
「カラスがあんなことするなんて驚いたよな」
「そうね」
< 22 / 40 >

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop