御曹司は初心な彼女を腕の中に抱きとめたい
「この後少し海の方を散歩してから帰らないか?」

「そうですね。お腹もいっぱいだし少し歩きましょうか」

今日もお会計を済ませようとしていたのを止め、別々にしてもらった。ただの飯トモなのに毎回ご馳走になるわけにはいかない。ご馳走になるとわかっていたら誘いに乗れなくなってしまう。丁重にお断りすると、気にしなくてもいいのにと言ってくれる。決して安くはない食事をご馳走になるわけにはいかない。
外の風はこの時間少し涼しく感じる。まだ6月の今は七分袖でこの時間早かったかもしれない。日中の暑さについうっかり羽織るものを持ってき忘れてしまった。
腕を抱えていると、ふわっと彼のジャケットがかけられた。

「奥山さん、寒いので大丈夫です」

「いや、俺は大丈夫だから」

ジャケットからは私と違う匂いがした。決して嫌な匂いではない。香水とはまた違う、爽やかな匂い。柔軟剤なのか、清潔感のある匂いだ。研究職なので香りにも敏感なのかもしれない。大きめのジャケットに包まれるようで、とても温かかった。

「ありがとうございます」

ふたりでのんびり海辺を歩くと、周りにもこうして歩いているカップルを見かけた。みんな手を繋ぎ、仲が良さそう。付き合っているとこんなふうになるんだな、と私には未知の世界でつい目で追ってしまった。
そんな私は彼が立ち止まったのにも気が付かなかった。
私は彼の背にぶつかってしまった。

「あ、ごめんなさい。ぼうっとしてて」

振り返った彼は困ったように、言った。

「いや、急にとまってしまったから」

どうしたんだろう。
私が様子を伺うと、意を決したように話し始めた。

「安藤さん、付き合ってほしい」

唐突な言葉にすぐ言葉を返せず固まってしまう。付き合う? って聞こえた気がする。

「ごめんなさい。私、お付き合いとかしたことがなくてよくわからない」

「初めて会った時からいい子だなと思ってた。ご飯だってまだ2回しか食べてない。だからすぐに答えられないって分かってる。だから俺の気持ちだけわかってて欲しい。その上で仲のいい友達として始めて欲しい。もし付き合えるかも、と思ったら付き合ってほしい」

彼の言葉に嫌な感じはしない。私も彼とまた会いたいと思うし、おしゃべりしたいと思う。一緒にご飯も食べたいなって正直思っている。でもそれが付き合いにつながるのかわからない。彼を嫌う気持ちはない。でも好きかどうかはわからない。
そんな時、ふと美和の言葉が頭に浮かんできた。
すぐに信用してはダメ、よく考えなよ、と言われたんだった。
美和は彼の見た目で不信感を抱いているとわかっている。けれど話してみたら悪い人でないのは分かった。でも私が世間知らずなのかもしれない。よく考えなきゃ。
私は答えを考えあぐね、ようやく彼に言葉を伝えた。

「まずは仲のいい友達でお願いします。私にはお付き合いがわからないので、恥ずかしいけど付き合う基準もわからないんです」

「分かった。でも俺は君と一緒にいたいから積極的にアプローチする。もし嫌ならはっきり言ってほしい。そうでなければ俺のところに落ちてくるように攻めるよ」

表情は伺い知れないが言葉は優しくも力強く、私の心を揺すぶってきた。

「明日、友人として一緒に出かけないか?」

「友人として?」

「そう。それならどう? そうだな、映画とか?」

食事しか一緒にしていない。メッセージのやり取りはしていても知らないことが多い。素直にもう一歩踏み出してみたいと思い、頷いた。
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