愛の街〜内緒で双子を生んだのに、孤高の副社長に捕まりました〜

ふたりで犯した過ちの夜

オーベルジュの二階は食事を楽しんだ顧客が、そのまま宿泊できるプライベートスペースになっている。

テラスに面したリビングルームの隣にはベッドルーム。

それほど広くはないけれど、贅沢な調度品に囲まれた落ち着いた空間である。
 
部屋へ案内されるとスタッフは下がっていく。後はもう呼ばない限り部屋へは来ない。

「せっかくだからテラスへ出てみようか。今夜はそれほど寒くない」
 
どことなく居心地の悪い空気を変えるように龍之介が言い、テラスへ続くガラス戸を開ける。促されて、有紗も外へ出た。
 
頬に感じる柔らかい風は、早春の香りがした。
 
街中にあるとは思えないほど、静かで緑豊かな庭園の向こうには、ライトアップされた大使館。

国の重要文化財に指定されている重厚な佇まいの建物だ。
 
ドラマや映画の撮影にも使われる絶景を、独り占めしているような夢のような空間だ。

「ここ、こんなに素敵だったんですね」
 
緊張で痛いくらい鳴っていた胸の鼓動が少しだけ落ち着くのを感じながら、有紗は素直な感想を口にした。
 
ここへは何度も来ているけれど、あくまでも仕事として。

しかも彼がここへ来る時は業務上重要な局面を迎えていることがほとんどだ。

必然的に有紗も自分がやるべきことに全神経を集中させているから、景色を楽しむ余裕なんてなかった。
 
手すりに手をついて、春の空気を吸い込んだ。

「こことももうお別れか……」
 
ベリが丘は、日本中の人が憧れるセレブの街。有紗など天瀬商事に就職できていなかったら一生縁がなかった街だ。

なにもかもが桁違いに贅沢で上品なこの街は、それでも社会へ出たばかりで不安でいっぱいだった有紗をあたたかく迎えてくれた。
 
今夜ここを去り故郷へ帰ってしまえば、おそらくもう足を踏み入れることはないだろう。

「寂しい?」
 
龍之介に尋ねられて、有紗はこくんと頷いた。

「はい。一生ここで働くと思っていましたから。ここで、たくさんのことを学びました。短い間でしたがこの街で働けたことは私にとって誇りです」
 
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