噛んで、DESIRE


わたしの頬を右手で触れ、吾妻くんは目を細めた。


「あのときサキさんに言ったように、俺は父から逃げてきたんだ」


言葉の裏は見えない。

だって吾妻くんが、へたくそな作り笑いを浮かべていたから。


こんなに彼の苦しい表情を見たのは初めてで、掛ける言葉が見つからない。

叔父さんである仁科さんの家に居候しているときも、彼に“ 申し訳ない ”と言った吾妻くん。


彼が抱えている荷物は、かなり重いのだと思い知る。



「……逃げるのは、決して悪いことじゃないですよ」


わたしの口から出るのは、陳腐な言葉。

でも、わたしも逃げた身だからわかる。


彼は勇気を持って、家を出たのだと。

そうしないと得られない何かへと、手を伸ばすために。



「ふは、杏莉ちゃんならそう言ってくれると思った」

「……読まれてましたか」

「バッチリね」


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