早河シリーズ第二幕【金平糖】
 ──そして早河と矢野は石田の部屋を出たものの、行き場のない感情を彷徨わせてこのアパートから離れられずにいた。

 高山美晴は5年前の2003年7月16日水曜日、久しぶりに再会した友人の家に行くと夫に言い残して消息がわからなくなった。その友人が誰なのかを夫の高山政行は聞かされていない。

 佐伯洋介は5年前に聖蘭学園に着任した。
聖蘭学園出身者のなぎさに聞いた学校のスケジュールでは、7月16日はまだ夏休みに入る前。

しかし通常授業はほぼ半日で終了し、教師達も午後の早い時間帯に仕事を終えて帰宅する場合もあるようだ。夕方に佐伯が自宅に戻っていても不思議ではない。

『毛布の中身がもし人間だったら、その人間ってのは佐伯が怒鳴りつけていた女って考えるのが妥当ですよね』

煙草を吸う矢野の足元に二匹の野良猫がすり寄ってきた。早河は固い表情で首肯する。

『予想していた最悪のシナリオになりそうだ』

 山梨から引き連れてきた憂鬱がはっきりと形を帯びて見えてきた。

 美晴の母、岡本優子が話していた。佐伯洋介は幼少期から美晴に恋をしていた。

美晴が佐伯の気持ちに気付いていたかは定かではないが、美晴の母の優子は佐伯の気持ちに気付いた。それは親の世代から見ればわかりやすい好意だったと言える。

だがそれは叶わぬ恋に終わる。美晴は兄の佐伯琢磨と結ばれ、二人の間には娘が出来た。
兄が死んでも佐伯の想いは報われず、美晴は高山政行と結婚した。

優子いわく、引っ込み思案で奥手な性格だった佐伯洋介の恋心が美晴に届くことはなかった。

 もしも東京に移り住んだ美晴と東京で教師になった佐伯がどこかで再会していたとしたら、もしも美晴がこのアパートを訪れていたら、どうなる?

『もう一度、佐伯に話を聞くしかない』
『ですね。お前達は悪い人に捕まるんじゃないぞー』

 二匹の猫に一声かけ、矢野は早河の車に乗り込んだ。矢野の後ろ姿を恋しそうに見つめる二匹の猫が、ニャーオ、と甲高い声で鳴いた。

 早河が車のエンジンをかけた直後に携帯が鳴った。ディスプレイに表示された電話番号は聖蘭学園の番号だ。

『はい、早河です』
{朝早くに申し訳ございません。聖蘭学園の松本と申します}

電話をかけてきたのは理事長の松本志保。理事長自ら連絡をしてくるとは何事だろう?

『何かありましたか?』
{高山有紗さんがまだ登校していないのです}
『有紗が?』
{はい。それに佐伯先生と神田先生も今日は無断欠勤をしていてどちらの先生とも連絡がつかなくて……}

 有紗、佐伯洋介、神田友梨……この三人が学校に来ていない。

早河は腕時計を見た。午前9時半を回っていた。今日も有紗は学校に行ったとなぎさから連絡をもらっている。有紗がなぎさの家を出て2時間、本来ならとっくに学校に到着している時間だ。

(まさか……)

 最悪のシナリオのページはすでに開かれていた。
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