蜜月と甘い嘘 〜忘れられた辣腕社長は記憶を無くした花嫁を離さない〜
◇◇◇
 
 結局医師が下した最終診断は「何か急激にストレス等を感じた際に起こる解離性健忘の一種」とのことだった。
 決定的な治療法は無く、「思い出すかもしれないし、思い出さないかもしれない」そんな曖昧な症状らしい。

「……思い出せるのかなあ」
「一過性のものかもしれないから、落ち着いたら思い出すかもって先生は仰っていたし、先ずはそれを信じてみようよ」

 事故にあってから数日後、退院の許可が出た私の隣では、「夫」がコップやスリッパといった、病室に持ち込んていた私物をボストンバッグへ手際良く詰め込んでいる。

「さてと、では家に帰ろうか」

 会計を済ませてエントランス前の乗車場の椅子に腰掛けていると、艷やかな黒の高級そうな乗用車が滑るように車寄せに停車する。その車から降りた「夫」は私を手を取ると、助手席へと(いざな)った。


「あの……。本当にお邪魔じゃないですか?」
「ん?なにが?」
「記憶が無いのにご自宅に伺うだなんて、ご迷惑じゃないかなって……。あの、なんでしたらこのまま近くのビジネスホテルまで送って頂くだけでもいいんですけれど」

 彼――笹原昴さんとは三ヶ月前に結婚したばかりだという。けれど「夫」だとは言え、彼は感覚的には見ず知らずの人だ。そんな人の家にお世話になるのは気が引けてしまう。

「お邪魔だなんてとんでもない!久美とずっと一緒に暮らしたくて結婚したんだから、勿論大歓迎に決まっているよ」
「でも……」 

 ハンドルを握る横顔に、柔らかな笑みが浮かぶ。

「退院するとはいえ、暫くは万が一に備えて誰かと一緒にいたほうがいいって先生も仰ってただろう?久美の実家は遠いんだし、僕達の家に帰るのが一番ベストだと思うよ?」

「それに」と、区切るとチラリとこちらに視線を向ける。

「何より僕が、久美と一緒にいたいんだよ。……だめかな?」

 膝の上で握りしめていた両手に、大きな手がそっと重ねられる。

「……ね?僕達の家に帰ろう?」

 ほんの少し切なさの滲む声に躊躇いながらも頷くと、彼は嬉しそうな、でもどこか寂しそうに一瞬顔を歪ませる。

「――ありがとう」

 そして何かを振り切るように緩く頭を振った彼は、軽く息を吐いた後に、再びハンドルに手を戻すのだった。

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