早河シリーズ完結編【魔術師】
2月8日(Thu)
上野恭一郎は東京拘置所の長い廊下を曲がって後ろを向いた。彼の後方には木村美月が立っている。
『面会時間は15分だよ。行っておいで』
「……はい」
美月の表情は強張っていた。初めて訪れる拘置所の異質な雰囲気に彼女は緊張している。
上野が扉を開けた部屋に彼女はひとりで入った。背後で扉が閉まり、美月は用意された椅子に座って相手が来るのを待つ。
鼓動が速いのはどうして?
こんなに緊張しているのはどうして?
殺風景な部屋は中央を透明なアクリル板であちらとこちらが仕切られている。その仕切りはそのまま、犯罪を犯した者とそうではない者の境界線を意味していた。
美月が部屋に入った数分後に仕切りの向こうの扉が開いた。部屋に入ってきた長身の男は、仕切り越しに美月を見て微笑んだ。美月も彼に微笑み返す。
『こんな場所まで来てくれるとは思わなかった』
佐藤瞬は透明なアクリル板の向こう側の椅子に腰を降ろした。美月と佐藤が顔を合わせるのは、佐藤の逮捕以来だ。
「隼人が会いに行って来いって言ってくれたの。服や下着の差し入れ、係りの人に渡したから使って」
『ありがとう。ごめんな。面倒かけて』
「私が好きでやってることだからいいの。隼人も承知してるよ」
佐藤の境遇は美月も隼人も知っている。佐藤には、服役中に服やその他の雑多な差し入れをしてくれる両親はいない。
佐藤瞬としての人生を12年前に終わらせている彼には面会に訪れる人もいない。でも佐藤には美月がいた。
『木村くんの具合はどうだ?』
「順調に回復してる。来月には職場復帰するんだってはりきってるよ」
『そうか。斗真くんはどうしてる? 監禁されていたんだ。大変なことはないか?』
「斗真は……あれから怖い夢を見るようになって夜中に起きちゃったりしちゃうの。だけど幼稚園も行けてるし、隼人の幼なじみの麻衣子さんがカウンセリングしてくれてる。美夢も元気に育ってるよ」
隼人と子ども達の近況を聞いて佐藤は安堵の溜息を漏らした。
『斗真くんは心配だが皆、一応は元気そうだな』
「うん。佐藤さんは……元気そうだねって言うのはここではおかしいのかな?」
『おかしくはないね。煙草が吸えなくて多少は苦しいが』
「煙草吸えないって、入院中の隼人と同じこと言ってる」
佐藤はアクリル板の向こうで笑う美月を見つめた。最後のデートが終われば、これっきり彼女とは会えないと思っていた。
手を伸ばせば届く距離に、美月がいてくれる。
『美月はどうなんだ?』
「私は変わらず。隼人と子ども達の世話で大忙し」
『元気そうで安心したよ』
「毎日忙しいと泣く暇もないのね。泣いたって、あなたと一緒に居られるわけじゃないもの」
美月は仕切りに顔を近付けた。佐藤も顔を近付け、二人の手のひらが仕切り越しに重なった。
上野恭一郎は東京拘置所の長い廊下を曲がって後ろを向いた。彼の後方には木村美月が立っている。
『面会時間は15分だよ。行っておいで』
「……はい」
美月の表情は強張っていた。初めて訪れる拘置所の異質な雰囲気に彼女は緊張している。
上野が扉を開けた部屋に彼女はひとりで入った。背後で扉が閉まり、美月は用意された椅子に座って相手が来るのを待つ。
鼓動が速いのはどうして?
こんなに緊張しているのはどうして?
殺風景な部屋は中央を透明なアクリル板であちらとこちらが仕切られている。その仕切りはそのまま、犯罪を犯した者とそうではない者の境界線を意味していた。
美月が部屋に入った数分後に仕切りの向こうの扉が開いた。部屋に入ってきた長身の男は、仕切り越しに美月を見て微笑んだ。美月も彼に微笑み返す。
『こんな場所まで来てくれるとは思わなかった』
佐藤瞬は透明なアクリル板の向こう側の椅子に腰を降ろした。美月と佐藤が顔を合わせるのは、佐藤の逮捕以来だ。
「隼人が会いに行って来いって言ってくれたの。服や下着の差し入れ、係りの人に渡したから使って」
『ありがとう。ごめんな。面倒かけて』
「私が好きでやってることだからいいの。隼人も承知してるよ」
佐藤の境遇は美月も隼人も知っている。佐藤には、服役中に服やその他の雑多な差し入れをしてくれる両親はいない。
佐藤瞬としての人生を12年前に終わらせている彼には面会に訪れる人もいない。でも佐藤には美月がいた。
『木村くんの具合はどうだ?』
「順調に回復してる。来月には職場復帰するんだってはりきってるよ」
『そうか。斗真くんはどうしてる? 監禁されていたんだ。大変なことはないか?』
「斗真は……あれから怖い夢を見るようになって夜中に起きちゃったりしちゃうの。だけど幼稚園も行けてるし、隼人の幼なじみの麻衣子さんがカウンセリングしてくれてる。美夢も元気に育ってるよ」
隼人と子ども達の近況を聞いて佐藤は安堵の溜息を漏らした。
『斗真くんは心配だが皆、一応は元気そうだな』
「うん。佐藤さんは……元気そうだねって言うのはここではおかしいのかな?」
『おかしくはないね。煙草が吸えなくて多少は苦しいが』
「煙草吸えないって、入院中の隼人と同じこと言ってる」
佐藤はアクリル板の向こうで笑う美月を見つめた。最後のデートが終われば、これっきり彼女とは会えないと思っていた。
手を伸ばせば届く距離に、美月がいてくれる。
『美月はどうなんだ?』
「私は変わらず。隼人と子ども達の世話で大忙し」
『元気そうで安心したよ』
「毎日忙しいと泣く暇もないのね。泣いたって、あなたと一緒に居られるわけじゃないもの」
美月は仕切りに顔を近付けた。佐藤も顔を近付け、二人の手のひらが仕切り越しに重なった。