早河シリーズ完結編【魔術師】
 色褪せずに鮮明な記憶のまま封印した甘美な夏物語が、美月と松田の脳裏に再生される。

『気持ちにケジメをつけるためにちゃんと聞いておきたい。美月は俺のこと、どう思っていた?』

家族連れが二人の横を通り過ぎる。海のトンネルに夢中で誰も二人を気にしない。

 ずっと言わずにきた言葉。言ってはいけないと封じた想い。
美月の瞳が潤んでいる。しかしここで涙を流してはいけない。泣いてはいけない。

「9年前のあの時……私は先輩を好きになっていたの」

ひとつひとつ、ゆっくり、気持ちを言葉に託して。

「あの時の私は、隼人と佐藤さんのことで心がぐちゃぐちゃしてて……。自分でもどうしたいのかわからなかった。だから先輩の優しさに甘えて現実から逃げた。でも優しくされたから甘えたんじゃない。……誰でもよかったから甘えたんじゃないの。先輩だったから……」

 美月の言葉が途切れたのは松田が美月を抱き締めたせい。昔とは違う香り、でも昔と同じ優しいぬくもりに包まれる。

『いつまでも罪な女だよな。寂しさを紛らわすために利用しただけと言われる方が、まだ諦めもつくのに』
「ごめんなさい」
『ううん。ありがとう。一瞬でも俺を選んでくれて。美月の本音が聞けてよかった』

 誰でもよかったと、利用しただけだと、そう言われた方がマシだった。
彼女はどこまでも罪な女だ。そしてどこまでも、素直な女だった。

 人の気配が近付いてくる。松田達がいる地点は25メートルある凹型トンネルのちょうど中間。他の客が曲がり角を曲がる前に彼は美月を手離した。

『隼人くんは当時から美月の気持ちに気付いていたんだろうな』
「隠し事してても隼人にはなんでも見抜かれてるもん」
『隼人くんは洞察力の塊のような人だからねぇ』

残りの経路を進んでアクアトンネルを出た先にはクラゲの水槽があった。ふわふわ浮遊するクラゲを見上げて美月は苦笑する。

「先輩にも隼人にも本当の気持ちを言うのが怖かった。隼人との関係に不安になってる時に先輩に惹かれて、でも心の中には佐藤さんがいて、隼人の側にいたくて。私は勝手過ぎる。隼人にも先輩にも嫌われちゃうんじゃないかって思うと怖くて言えなかった」
『俺も隼人くんも美月を嫌いにならないよ。佐藤さんだってそうだろ。強いて言えば、皆が美月に惚れてるから美月を困らせてしまうんだよな』
「私はそんなにモテませんー」
『またまたご謙遜を』

 笑い合う二人の前を浮遊するクラゲの群れ。クラゲは海の月と書く。こうして見ていると海の夜空に浮かぶ満月に見えてきた。

ふわふわ、ふわふわ。

青白い丸い月が夜の海に浮かんでいた。
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