早河シリーズ完結編【魔術師】
11月28日(Wed)

 寝室に差し込む柔らかな朝の光。早河仁はひとりきりのベッドで目を覚ました。

早く寝たい時ほど寝付きが悪い。目を閉じてもなかなか眠れず、数十分の浅い眠りを繰り返していた深夜に、黒田刑事から連絡があった。
それから考え事をしてようやく意識を手放せたのは午前3時頃。4時間程度の睡眠時間だ。

 明美の自宅の家宅捜索の結果、犯行に使用した血のついたナイフとレインコート、犯行時に履いていた23㎝のスニーカー、壊れた赤いフレームの眼鏡が見つかった。

スニーカーの裏側は血で黒ずんでいて、それらがポリ袋にまとめて放り込まれて彼女の自室に隠されていた。

 明美はうさぎ殺しの罪を全面的に認めている。しかし動機の点では、早河に語ったものとは違う動機を口にしているそうだ。

警察の取り調べで明美は早河と真愛の名前を一言も出さずに、うさぎ殺しの動機を「ストレスが溜まってムシャクシャしていたから」だと述べた。

 明美が早河に自白した本当の動機は、早河への密やかな好意と父親に愛されている真愛への嫉妬。それを彼女は警察に言わなかった。

教師が動物を殺傷した事件は週刊誌やネット民が騒ぎたがるネタだ。現にツイッターでは、東中野小学校で起きたうさぎ殺しが一時トレンドワードに上がっていた。

 今は誰も彼もが人を裁きたがる。インターネットの根拠のない情報に躍らされ、匿名性をいいことに一斉にネットの中で、見ず知らずの誰かを袋叩きにする。
デジタルの世界で勝手に人を裁いて正義のヒーローを気取る人間だらけだ。

 うさぎ殺しに関連してどこかで早河や真愛の名前が流出すれば、うさぎが殺される要因を作った小学生として真愛が後ろ指を指されてしまう。

飼育小屋の側で明美の自白を聞いていた黒田刑事も、調書に載せる公式な動機は明美が取り調べで述べた偽りの動機を採用すると言っていた。
個人情報が容易く漏れる今の世界で、子どもの個人情報と人生を守るのが大人の役目だ。

 明美の真の動機を知る者は、早河と黒田刑事、生き残りのうさぎと告発人のニワトリだけ。

 東中野小学校は今日は学校を休校にして午後から緊急の保護者会が行われる。体育館にPTA役員を中心とした保護者を集めてうさぎ殺しの事情を説明するらしいが、事件の全容を知る早河にはもう関係がない。

学校側が保護者にうさぎ殺傷事件の顛末をどのように語ろうと、どうでもいい。保護者の間で、うさぎを殺した佐竹明美への罵倒が飛び交うのは目に見えている。

 あの温和な校長が騒動の矢面に立たされて、保護者に謝罪を繰り返さなければならなくなるのは気の毒だ。

 重たい身体をなんとかベッドから引き剥がした。朝食も喉を通らず、熱くて濃いブラックコーヒーを胃に流す。

 事件の真実を真愛にどう話せばいいか早河は悩んでいた。真愛が心身共に健常だったとしても、学校で飼育していたうさぎを殺した犯人が同じ学校の教師となればショックを受ける。

真愛だけではなく全校生徒にとってショッキングな事実だ。加えてPTSDを抱える真愛にどこまで打ち明けたらいいだろう?
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