早河シリーズ完結編【魔術師】
 ひとりの女の死によって人生が変わってしまった男と、ひとりの女の死がなければ、赤い糸に引き寄せられて愛し合うこともなかった男と女。

 美月は二つのコーヒーカップを持って再び佐藤の隣に座る。佐藤に相手をしてもらって上機嫌な美夢が、今度は美月の膝の上で絵本を広げていた。

『なんで警察に俺が生きてることを話さなかった?』
「隼人が警察には黙っておこうって言ったの。あなたが生きていたとしても、あなたが私に危害を加えることはないからって……」

 佐藤が美月の前に現れた日は、隼人の幼なじみの麻衣子の結婚式の日だった。そして貴嶋が脱獄した日でもある。

あの夜、美月は佐藤との再会を隼人に正直に話した。殺人事件の犯人である佐藤の生存を警察に通報するのが、民間人の美月と隼人の義務だ。

隼人はそんなことは百も承知で警察には通報しない結論を下した。もちろん二人が長年懇意にしている警視庁刑事の上野恭一郎にも佐藤の生存を知らせなかった。

『でも俺は木村くんには恨まれてるだろうな』

 美月が淹れたコーヒーを飲み干して佐藤は立ち上がった。黒のロングコートを羽織る彼の背中に抱き付きたくなるのは、佐藤がまた遠くへ行ってしまうことを恐れているから?

『キングが本格的に動き始めてる。しばらくは用心した方がいい。不安なら木村くんと相談して警察に行け』
「うん……。佐藤さんはこれからどうするの? カオスを解任されたのなら今は何をしているの?」
『カオスの人間ではなくなっても、していることはカオスにいた時と同じだ。今はキングの居場所を探ってる』

 慌ただしく玄関に向かう佐藤は不安げに立ち尽くす美月の髪を撫でた。上から下へ丁寧に美月の髪をすいて、彼女の額にキスをする。

美夢を抱えた美月の身体を両腕で包み込んだ。これっきり、二度と触れられないかもしれない。二度と会えないかもしれない。

だから愛しい彼女のぬくもりと香りが消えないように全身に刻み付けて……。

『俺のことは心配いらない』
「そんな傷だらけで現れて心配しない方が無理だよ……」

 美月は涙声で肩を震わせていた。泣き虫なところは大人になっても変わらないなと佐藤は苦笑いして、彼女と何度目かのキスをした。

『手当てしてくれてありがとう。それとコーヒー旨かった』

 絡めた指がほどかれてサヨナラの呪文が残酷に響く
サヨナラの先に待つものは何?
これが永遠の別れならサヨナラなんてしたくない

砕けないように押さえた心
うれしいとくるしいは似ているね
あの人に会えて嬉しいのに、あの人に会えるとこんなに苦しい

どんなに名前を呼んでも届かない声
手を伸ばしても届かない幻影
これも夢だと誰か言って
これも幻だと誰か言って
永遠の別れは夢の中だけで充分だから……。

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