早河シリーズ完結編【魔術師】
 JSホールディングス経営戦略部のフロアはすべての灯りが消えていた。暗いフロアにスマホのブルーライトがその者の顔を照らす。

『上出来、上出来。やればできるじゃん』

菜々子のスマホを手に持つ男は口笛を吹いてほくそ笑む。フロアの片隅では、手足を縛られた菜々子が震えていた。

 帰り道に突然意識を失った菜々子が目を覚ました場所は自宅ではない。自分の意思に反して再び会社に戻っていた彼女は手足を縛られていた。
少し頭がふらつく。意識を失くす寸前に全身に電流のようなものが流れたのを覚えている。

 最初はこの非現実的な状況に理解が追い付かなかった。ようやく自分が監禁されているのだと認識して、身体の震えが止まらなくなった。

『あんたを選んで正解だった。あんたみたいな新人で弱っちい奴なら、緊急事態にすぐに駆け付けてくれるよなぁ。良い上司に恵まれて幸せ者だな』

目出し帽で顔を隠した男の右手には菜々子のスマホが、左手にはブルーライトの光を受けて妖しく光るナイフを持っていた。
眼鏡のズレを直したくても手が縛られていて直せない。菜々子は震える声を振り絞った。

「主任を……どうするんですか?」

 男は菜々子の解放と引き換えに上司の木村隼人をここに呼び出せと要求してきた。菜々子が拒んでも彼女のスマホは男の手にあり、菜々子の制止も聞かずに男が隼人の携帯番号に通話を接続してしまった。

目出し帽の男は冷笑してナイフをちらつかせる。

『これ見てわからない?』
「こ、殺すんですか……?」

 単語を発するだけで恐ろしい。菜々子はミステリーやサスペンスものが苦手だった。
自分の血を見るのもダメな彼女は、小説や漫画もミステリーやサスペンス以外の作品を好む。バトル系の漫画やアニメも苦手だ。

だからこそ、男の握るナイフの存在や自分が置かれている状況が恐ろしかった。

『木村隼人には生きていられると困る』
「どうして……どうして主任を……」
『木村隼人の抹殺が命令だから。話はここまでだ』

 男は黒い革手袋を嵌めた手でガムテープをちぎって菜々子の口に貼り付けた。ガムテープで口を塞がれた菜々子は会話を強制的に遮断された。

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