早河シリーズ完結編【魔術師】
 子ども達と貴嶋が鎌倉にいる確証はない。けれど貴嶋の別宅、“木犀館”は鎌倉のどこかにある。
早河はフロントを尋ねた。

「金木犀が多い地帯で別荘を建てそうな場所ですか? ええっと……そうですね……」

フロント係の女性は早河が持参した地図を広げた。彼女が鎌倉の主要スポットを指差す。

「お寺さんには金木犀も多く植えられていますよ。東慶寺《とうけいじ》や円覚寺《えんがくじ》には立派な金木犀の木がありまして、シーズンになれば辺りがあの香りに包まれます」
『市街地よりはもっと山奥の方はどうですか?』
「山の方ならもっと多いかもしれません。このエリアは別荘地区になっていますよ」

 早河は地図の一角の別荘地区にピンク色の蛍光ペンで丸印をつけた。

なにしろ貴嶋が所有していた別荘だ。まともに不動産屋を巡っても木犀館には辿り着けない。登記簿を見るにも、目的の建物の住所がわからなければ意味がない。

『モクセイカンと言う名前は聞いたことがありますか? 金木犀の木犀の館と書いて木犀館』
「さぁ。申し訳ありません。私にはわかりかねます」

 女性スタッフに礼を言ってフロントを離れた。手掛かりが莉央が遺した日記だけでは探すにも限界がある。

 早河はロビーのソファーに座って、これまで起きた出来事を整理する。

 未成年者集団自殺事件、自殺した未成年者達とSNSを通じてメッセージを送っていた小柳岳の自殺、真愛と斗真の誘拐、木村隼人殺人未遂と殺人未遂容疑での佐藤の手配。

ひとつに繋がるようで繋がらないバラバラの糸を一本ずつ辿れば、どの糸の終着も貴嶋に繋がる。

(あいつは何を求めているんだろう)

 9年前に対峙した貴嶋の顔を思い浮かべた。
国の最高機関も警察組織も一時は貴嶋の手中に収まり、彼は日本の支配を企てていた。

だが、犯罪組織のトップに君臨したかつての友人の真の姿は父親の哀れな傀儡《くぐつ》だった。
貴嶋の計画は恋人の莉央の裏切りによって阻止され、貴嶋は逮捕された。すべては終わったと9年前に誰もが思っていた。

(人の心に闇がある限りマリオネットは作れる。あいつはそう言った)

 9年前の取り調べで貴嶋は早河にそう告げた。今思えば、貴嶋はどこまで未来を予期してこの言葉を発したのだろう。

犯罪組織カオスと貴嶋佑聖の存在が世間に認知されるようになると、一部の人間からは貴嶋は神と崇められ信者の数は水面下で増殖を始めた。

 “貴嶋ブーム”の火付け役は、大学の犯罪心理研究会という名のサークルが2013年に発表した犯罪組織カオスと貴嶋をオマージュにしたネット小説だった。

事実を知る早河からすれば、大学生が書いた素人小説はネットに浮遊する根拠のないデマをかき集めて作られた空想の産物だ。

しかしそれが若年層を中心に“ウケた”。次世代のカオスを名乗る集団の暴動も勃発するようになる。

 自分はキングの使者だと騙《かた》って犯罪を犯す者、貴嶋に死刑判決が下されると日本政府に対して抗議のデモ活動を行う者達もいた。
貴嶋が獄中にいる間も彼の言葉通り、犯罪者《マリオネット》は作られた。

 拘置所で過ごした沈黙の7年を破り、なぜ脱獄が2年前だった?
2年前でなければならない理由があったのだろうか。

 日没を迎えた古都の街にはしばらく止んでいた粉雪がまた、ふわりふわりと舞っていた。
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