嘘つきと疫病神
「あっと、そうだ。お茶を出せって言われてたんだった。お客さんはもてなさないとだもんな」
いきなり表情を変えた男の子は、独りでに呟くと小走りで老婆が去っていった暖簾の奥へと消えていく。
たった一人取り残され、居た堪れない不快感に表情を歪めた。男の子がいなくなった瞬間に、心を満たしていた温かいものが冷めていくようだ。
どうして行ってしまうの、なんて言えるはずもない。広い店内に一人では感じたことのない寂しさが心を突いた。
何もすることがなく手持ち無沙汰になり、壁一面に飾られている写真に視線を移動させた。風景を写したものから人物、飼い犬や飼い猫、道端に咲いている花など被写体は様々である。
写真に対して専門的な知識など皆無であり、あの男の子にここへ連れられるまで写真などというものを知ることはなかった。飾られている写真に大した感想など抱かない。これが写真なのか、と思う程度である。
男の子のように写真に対して熱意を感じず、飾られている写真を流し目で見ながら暇な時間を潰す。
けれど飾られている写真にも限りがあり、全てを眺め終わったときにはすでに興味を失っていた。正直、男の子があんなにも写真に熱心になる理由が分からない。所詮ははただの紙切れではないかとすら思ってしまう。
しかし、店内に飾られている写真から視線を外そうとしたその時、一枚の写真が目に入った。
視線の先で小さく輝く一枚の写真。その写真が目に入った瞬間、目が釘付けになって離せなくなっていた。
「……綺麗」
その写真を見て一番初めに抱いたのがそんな感想だった。
何処か少し高い位置から小さな町を写した写真。青々とした木々の隙間から見える町と、それを見下ろす青空が何とも美しく写っている。
思わず椅子から立ち上がってその写真の傍に寄った。棚の上に置かれた幾つもの写真立てに埋もれるようにして飾られているにも関わらず、まるで写真そのものが光を放っているかのように輝いて見えた。だからこれだけ埋もれていてもすぐに目に飛び込んできたのだ。
気がつけば、もっとよく見ようと手を伸ばしていた。木の質感が掌から伝わり、写真立てすらも一つの作品のようである。
「お、気になる?」
写真を眺めるのに夢中になっていると、背後で先程奥に行ってしまった男の子の声が聞こえた。
振り返ると穏やかな笑みを浮かべた男の子がすぐ隣にまでやってくる。勝手に触ったことに対して怒られてしまうと考えたが、案外にも男の子は嬉しそうに微笑んでいる。
自分が手にした写真を覗き込んで自信ありげにも穏やかに語り出した。
「それ俺が取った写真なんだよ。この町の外れにある丘から撮ってさ」
「これを、貴方が?」
「そう。俺が写真が好きになって一番初めに撮った写真」
店にあるどんな写真の中でも、町の丘の上から撮ったというこの写真が一番輝いて見えた。
何故か嬉しいと感じる。自分で何かに関心を持てたことに対してにもあるが、何より、一番綺麗だと思った写真が、この男の子が撮った写真であるという事実に対して。
「俺のお気に入りなんだ。量が増えてきて埋もれてたんだけど、良いものに目をつけてくれたね」
男の子の顔が至近距離にまで近づいてきて、また心の臓が激しく脈打った。
この気持ちは一体何なんだろう。
この胸の高鳴りは一体何なんだろう。
どうしてこの男の子に出会ってから、こんなにも心が満たされるのだろう。
この男の子には不思議な力があるらしい。だから心臓が暴れ回るのだと必死に自分に言い聞かせた。
世界を知っていて、自分みたく無知ではない人からしたらこの気持ちの正体に気づいているのだろうけれど。