冷徹ドクターは初恋相手を離さない
「はぁ、もういっそのこと新しい恋人でもつくって別れてやろうかしら」
 スマホに夢中になっていた間にどんどん人が増えてきた食堂を見て、あと数口分残っていたオムハヤシを溜め息交じりに素早く食べきって、お水を飲み干した。
 ごちそうさま、と手を合わせて言った後、立ち上がろうとしたところ隣の席に白衣の男性が座る。混雑していたし、ほかの席もだいぶ埋まっている。

「あっ、すみません。今片付けます」
「いや、急がなくていい」
 荒木先生だ。
 荒木先生も食堂を使うんだ。とか思っていたら、荒木先生は私にさらに話しかけてきた。
「六階病棟にいた。葉山さん」
「はい、葉山ですけども」
 なんで先生がただの看護学生の名前を憶えているの?
 すごい記憶力なのかな。それはそうと、こうして近くで見ると男らしい厚い胸板と広い肩幅。ルックスだけじゃなくて鍛えられた身体も持ち合わせている。イケメン医師ってこういう人のことをいうのね……。また失礼なことを考えてしまった。
 先生は熱々のカレーライスを一口食べて、私の方をじっと見つめる。
 
「君、もしかして豊橋小学校の卒業生か?」
「そうですけれど……それが何か?」
 先生は急に私の母校の名前を尋ねてきた。あれ、こんな情報、実習先の先生とはいえ教えてしまっても良かっただろうか?

「いや。気にしないでくれ。俺も同じ学校の出身なんだ。何個か下の学年に君と同じ名前の子がいたからもしかしてと思って」
 荒木先生は表情を変えずにそう言って、カレーライスを食べていく。大盛りのカレーを大きな一口で食べていく。きっと忙しいから病院ではゆっくり食べられないんだろうな。
 それにしても小学生の時の後輩の名前まで記憶しているなんてすごいな。頭がいい人っていうのは記憶力もいいのね。
 そんなこと考えている暇はない。時計をちらりと見るとあと十分で昼休憩が終わっちゃう!
 
「あっ、すみません。私そろそろ戻らないと……」
「ああ。こちらこそすまない。では単刀直入に言う。俺の偽装彼女にならないか?」
「はっ、え?」
「すまないが、君がスマホを見ながら呟いていることを聞いてしまったんだ。それで、相手に俺はどうか? と思って」
「えっと、ちょっといきなりすぎて……え、先生が私と?」
「結果は後で聞かせてくれ。あ、そうだ。スマホ貸して」
 荒木先生がそう言って私のスマホを取って数秒ほど操作した後にすぐ返した。

「俺の電話番号、履歴に入れたから。後から俺も連絡するが、それよりも前にしたくなったらしてもいい」
 じゃあ、と言って、あんなに盛られたカレーライスを一瞬で平らげて席から離れた荒木先生はすぐに食堂から消えてしまった。
 先生が消え去ったのをただ見ているだけで、声をかけることすらできなかった。私は突然の展開に私は完全に思考停止してしまい、その場で直立不動のままだ。

「何が起こったの……? あっ、時間!」
 やっとのことで現実に戻ってこれたところで、そろそろ病棟に戻らなくてはいけない時間になっていることに気づいた。
 
(一体、あの人は何を考えて私に偽装恋人をしようだなんて提案してきたの!?)
 そんなことを病棟に戻ってからは考えてしまわないように、自分の頬を両手でバシッと叩いて渇を入れて、急ぎ足で病棟まで駆け上がった。
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