冷徹ドクターは初恋相手を離さない
 彼女の姿が見えなくなったところで私たちも帰ろうとすると、裕太はふらふらしながら立ち上がって逃げるように消え去った。
 それを見た私は、なんだかスカッとして面白くて笑ってしまう。
「ふふっ」
「ん?」
「……ああ、いえ。なんだかスカーッとしたなぁって。本当にありがとうございました。直哉さん」
「いや。むしろ俺の方こそありがとう」
「えっ?」
「君が彼と別れたいと意思表示しれくれたから、俺は堂々と君を『彼女』だと思える」
「直哉さん……」
 直哉さんが耳元でそう呟くと、厚くてごつごつとした大きな手が私の手を包み込んだ。
「さっき、繋げなかったから」
「……はい」
「これでやっと君に好きだと言えるな」
 なんでもない通り道だったこの場所が、今、私にとって特別な場所になっていく。
 大好きな人と手を繋いで初めて歩いた道。いつもはただカフェに行ったり、駅に向かったりするためだけの道だったのに。私の思い出の道になる。
 最寄り駅まで私たちはゆっくりと歩いて、一緒にいる時間を少しでも伸ばそうとした。
 そこで公園に直哉さんが寄ろうと言うので、私は喜んでその手が導くままについていく。
 公園の奥まった位置にある大きな木の下のベンチにふたりで座ってしばらく経っても、誰の声も聞こえない。公園の時計を見ると十八時を過ぎていて、子どもたちは帰って静まり返っていた。
 ささあっ、と生い茂る葉が風に揺れて爽やかな葉音を届けてくれる。
「詩織。やっと君と再会できて嬉しかった。運命だと思ったんだ。だから、本当の彼女になってほしい」
 私の手を強く握るその手は、多くの人の命を救ってきた尊いものだ。愛を包み隠さずに伝える言葉とそれを紡ぐ声。手から伝わる想いの熱さに私はくらくらとしてしまいそうになる。
 直哉さんの瞳には、私の姿しか映っていない。
「……はい! 喜んで」
 言えた。これが今の私の限界だ。
 どれだけ頑張っても、まだ『好き』と口に出すのが難しい。でも、直哉さんと過ごしているうちに新しい自分になれるかもしれない。そんな期待に胸を膨らませていたら、自然と笑みが浮かぶ。
「詩織を守りたい。……もう誰にも渡さない」
 直哉さんの言っていた言葉が上手く聞き取れなかったけれど、私を強く抱きしめてくれた腕と広い胸は安心する。いい人の匂いがして、落ち着く。
 私が直哉さんの大きい背中に手をまわす。すると、さらに、ぎゅう、と抱きしめる力が強くなり、その力が強すぎて潰れてしまいそうで苦しい。でも、この苦しさが今はとても幸せで離れがたい。
 私たちは、やっと触れ合えた喜びをわかち合い、お互いに吸い込まれるように唇が重なろうとした時、犬が遠くで鳴く声がして、急に現実に戻って照れくさくなってしまいハグしていた手を慌てて離し、笑い合った。
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