まだ誰も知らない恋を始めよう
 そう思って、踵を返して西棟へ戻りかけたら、今度は後ろから左手を捕まれた。


「待って、一緒に行くと言っただろ。
 抱きついたのは謝るよ、ごめんなさい。
 だからさ、そんなに大きな声を出さないで。
 大きな動作で僕を振りほどかないで。
 皆が君を見てるよ」

「あのねえ、貴方がわたしに、ふざけた真似をするからでしょう!」

 皆がわたしを見てるのは、誰のせいだと思っているのか。
 あんたのせいでしょうが!
 わたしは目立ちたくないのに!
 と怒鳴りたいのを我慢する、だってわたしは平和……


「落ち着いて聞いて。
 僕の姿は誰にも見えない」

「何言って……」

「だからね、周囲からは君は空中に向かって文句を言い、1人で身をくねらせて、前に腕を突き出した人にしか見えない、って事」

 彼の言ってる意味がわからない。


「それ、冗談にしては全然面白くないけど」

「冗談なんかじゃない。
 本当に僕の姿は、月曜の朝から誰にも見えてないし、声も聞こえない。
 家に居ても、大学で歩いていても、誰も僕に気付かない。
 家族も、友人も……よく声を掛けてくる女の子達の側に行っても、誰ひとり僕が居るのに気付かなかった。
 水曜日からこうして構内のあちらこちらをうろついて、3日目になるけど。
 初めて僕に気付いてくれたのが、君なんだ、ダニエル」
 
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